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異端審問 イタンシンモン

百科事典マイペディアの解説

異端審問【いたんしんもん】

英語でinquisition。異端の摘発と処罰のためにキリスト教会内に設けられた制度。狭義には,カトリック教会が12世紀後半以降の異端簇生(ぞくせい)に対してとった措置の一つで,教皇庁直属,審問官はドミニコ会士が多かった。
→関連項目悪魔異端カタリ派

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世界大百科事典 第2版の解説

いたんしんもん【異端審問 inquisition】

異端の摘発処罰のためキリスト教会に設けられた裁判制度。宗教裁判ともいう。キリスト教会が異端にたいしてとった制度的対応はさまざまであるが,とりわけカトリック教会におけるそれが,歴史的には問題となる。異端にたいする問責,処断は初期教会から存在したが,この場合には,破門を最高手段とする,通常の教会裁判の枠内におけるものであった。独特の制度と目的をもった異端審問が登場するのは,12世紀後半以降,カトリック教会を揺るがせた,カタリ派ワルド派異端への対処の結果である。

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大辞林 第三版の解説

いたんしんもん【異端審問】

カトリック教会で、異端者を追及・処罰するためなされた裁判。一三世紀以降南ヨーロッパを中心に広く行われた。審問官は教皇が任命。その尋問録は当時の民衆の世界を知る貴重な史料。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

異端審問
いたんしんもん
Inquisition

カトリック教会が異端追及と処罰のために設置した法廷。宗教裁判ともいうが、通常の教会(司教)裁判とは別である。[渡辺昌美]

制度の確立

異端発生は教会の成立直後からみられるが、当初は破門するだけであった。12世紀後半から南フランスに広がったカタリ派(アルビジョア派)に対する十字軍の過程で異端審問が形成され、1229年のトゥールーズ教会会議と1232年のグレゴリウス9世勅書で制度的に確立をみた。これは教皇直属の特設非常法廷で、司教の統制を受けず、逆に司教や世俗権力は無条件に協力すべきものとされた。告訴を待たずに活動する。インクィジションとは「立入り審理」の意である。自供、または2名の証言をもって有罪を判決しえ、証人は被告と対決する必要がなかった。拷問が公認され、密告を奨励した。ドミニコ会とフランチェスコ会により担当された。通例、審問官2名が1組となって、問題の多い地方を巡回した。その活動は摩擦を生じやすく、1242年にはトゥールーズに近いアビニョネで審問官が襲撃され、14世紀初頭にはカルカソンヌでベルナール・デリシウの指導する暴動がみられた。ただしそれなりの準則はあったので、全部を火刑にしたわけではない。14世紀、ベルナール・ギーが著した『審問官必携』は、この間の事情をよく示している。また、今日からみれば、供述の記録は民衆の行動と心情を知るための貴重な史料である。[渡辺昌美]

スペインの異端審問

異端審問の制度は、まずフランス、ついでイタリア、ドイツに展開したが、イギリスや北ヨーロッパ諸国には受け入れられなかった。遅れて導入されながら、もっともよく定着して猛威を振るったのはスペインである。設立は1478年、スペイン王国の成立(1479)とほぼ同時期である。審問官任命権は国王が握り、完全に王国統治機構の一環に組み込まれて、教皇の統制から逸脱し、1人で10万件を審理して火刑台の煙を絶えさせなかったという審問官総長トルケマダToms de Torquemada(1420―98)のごとき、なかば伝説的な人物すら出現した。初め主たる犠牲者はユダヤ教徒、厳密には偽装改宗ユダヤ人であったが、のちには風紀事犯一般に対象が拡大された。犠牲者総数は知る由もないが、全14地区法廷のうちトレド地区だけをみても、第一ピークたる1485年に処罰者約750人、第二ピーク1650年に約250人、18世紀以降は毎年平均50人程度であった。ナポレオン支配期における中断を別にすれば、正式に廃止されたのは1834年のことであった。[渡辺昌美]
『ギー・テスタス、ジャン・テスタス著、安斎和雄訳『異端審問』(白水社・文庫クセジュ)』

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世界大百科事典内の異端審問の言及

【異端】より

…また宗教改革以後も,カトリック教会内ではジャンセニスムなどの例をみることができる。教会の正統側は,異端の禁圧のため,しばしば凶暴性をおびる審問裁判(異端審問)を行ったり,軍事的掃討をくわだてるなど,多くの犠牲者を生んだ。また,宗教活動に結びついた政治的諸問題,理論にたいしても異端が宣告されることがあった。…

【ドミニコ会】より

…1229年以来パリ大学神学部に一講座を常設してスコラ学の中心となりトマス・アクイナスらの碩学を生んだ。教会法の分野でもペンニャフォルトのライムンドゥスRaimundus de Peñafortなど偉才が出て異端審問制度の権威となった。神秘思想ではエックハルトらが現れ,その一人であるシエナの聖女カタリナは一般信徒の信仰生活を鼓舞する〈第三会〉会員であった。…

【焚刑】より

… 殺される当人にとっては残酷きわまりない話だが,為政者にとって焚刑の行われる空間は,一種大規模なショー,不特定多数の群衆に恐怖,娯楽的要素をまじえてイデオロギーを注入するかっこうの場として利用された。ヨーロッパにおけるその典型例は,異端審問inquisitio hereticae pravitatisと18世紀後半まで続く魔女狩りである。異端を焼き,灰を捨てるのは,もともと同信者に遺物,記念品を残さないためでもあった。…

【ユダヤ人】より

…キリスト教徒の血を儀式に用いるために無垢の子を誘拐し殺害するとの,いわゆる儀式殺人の非難,またユダヤ教徒がキリスト教徒の飲用とする泉に毒を混入させるなどの告発が行われるようになるのも,12~13世紀以降のことである。教会は,このような非難を繰り返し根拠のないものとして退け,このような非難から生じたユダヤ教徒殺害などを戒めるのであるが,やがて15世紀スペインを中心とする異端審問の狂気のなかで,教会みずから直接ユダヤ教徒狩りに加担し,改宗を強制されたユダヤ教徒(マラーノ)が多くその犠牲となった。このような展開は,ユダヤ教徒のゲットーへの強制隔離によってその頂点に達することになる。…

※「異端審問」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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