日本大百科全書(ニッポニカ) 「リューリク朝」の意味・わかりやすい解説
リューリク朝
りゅーりくちょう
Рюриковичи/Ryurikovichi ロシア語
9世紀~1598年のロシアの王朝。元祖は、伝説上の人物であるリューリク(在位?~879)。『原初年代記』によると、彼は内紛に悩むロシアに秩序をもたらすために、2人の弟とともに「海のかなた」から招かれたという。リューリクの死後、882年その子イーゴリ(在位913ころ~945)が一族のオレーグに助けられてキエフ(キーウ)に君臨し、王朝の基礎が固まった。その後16世紀末に至るキエフ、ウラジーミル・スズダリ、モスクワその他の諸公国の公位は、すべてその子孫が占めることとなった。時とともに複雑に分岐した王朝の各系統は、それぞれの始祖の名をとって、モノマフ一門とかオレーグ一門とかよばれることもあった。モスクワ公家は、ウラジーミル・スズダリのモノマフ一門に発する。それは15世紀中ごろには実質的に北東ロシアで唯一の支配公家となり、1547年にはモスクワ大公イワン4世(雷帝、在位1533~1584)がツァーリを名のるようになる。このイワンの子フョードル(在位1584~1598)の死により王朝は断絶し、動乱時代を経て、ロシアは1613年ロマノフ朝の時代を迎えることになる。
[栗生沢猛夫]