日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウォロシーロフ」の意味・わかりやすい解説
ウォロシーロフ
うぉろしーろふ
Климент Ефремович Ворошилов/Kliment Efremovich Voroshilov
(1881―1969)
ソ連の軍人、政治家。ウクライナのエカチェリノスラフ県(現在のドニプロペトロウスク州)の鉄道労働者の家庭に生まれる。1903年ロシア社会民主労働党(のちの共産党)に入党。若くして労働運動、革命運動に参加し、1917年の革命時にはルハンシク(ソ連時代のウォロシーロフグラード、ルガンスクともいう)・ソビエト議長。ジェルジンスキーとともにチェカー(秘密警察)創設に尽力。1918~1920年の内戦期には南部戦線で戦い、第一騎兵隊革命軍事評議会委員などを務める。とくにツァリーツィン(後のスターリングラード。現、ボルゴグラード)防衛でスターリンとともに戦ったことは有名である。1919年の第8回党大会では「軍事反対派」に参加した。その後、政治家としては1921年に党中央委員、1926年に党政治局員となり、軍人としては1925年陸海軍人民委員、1934年国防人民委員、1935年ソ連邦最初の元帥となった。1940年には国防人民委員の職をチモシェンコに譲り、副首相となった。第二次世界大戦中は国家防衛委員会委員、北西方面軍司令官などを務め、レニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)防衛戦を指揮したが、概して凡庸な指揮官であったといわれる。戦後は1946年にふたたび副首相、1953年最高会議幹部会議長(国家元首)となったが、1960年解任。1961年の第22回党大会では、1957年の「反党グループ」(党第一書記フルシチョフの追放を策して失敗したモロトフ、マレンコフら)に参加したと非難された。自己批判によって除名を免れ、1969年の死去に際しては国葬をもって遇せられ「赤の広場」に葬られた。
[塩川伸明]