日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウディチコ」の意味・わかりやすい解説
ウディチコ
うでぃちこ
Krzysztof Wodiczko
(1943― )
ポーランド出身のメディア・アーティスト。ワルシャワ生まれ。ワルシャワ芸術学院でインダストリアル・デザイン、建築、ビジュアル・アートを学び、1968年に修士号を取得。1965年のサン・パウロ・ビエンナーレに参加するなど在学中より作家活動を開始し、1969年には機械や小道具を用いたメディア・アートの制作に着手した。1972年にはワルシャワのフォクサル・ギャラリーで初個展を開催。その後短期間で国際的な評価を獲得し、1970年代後半には活動の拠点をカナダへと移し、1984年に市民権を取得。以後、カナダ、アメリカの多くの大学で講座を担当し、1991年からマサチューセッツ工科大学で教鞭(きょうべん)をとり、1997年に同教授に就任。フランス国立美術学院の客員教授なども兼任した。2010年からハーバード大学大学院デザイン学科教授。
作品を通じて民主主義の基層を問う制作姿勢は活動初期から一貫しており、公共空間を活用して記念碑などに映像を投影する「パブリック・プロジェクション」とよばれるプロジェクトを1980年代初めごろから開始、世界各地で作品の上映、展示活動を行った。その映像作品には世界的に社会問題化しているホームレス、軍国主義、人種差別などの光景が頻出し、とりわけ1985年、反アパルトヘイトの観点から発表された、在英南アフリカ共和国大使館に鉤(かぎ)十字形のシルエットを投影する作品は、国際的にも大きな反響をよんだ。1980年代後半以降は安価な乗り物に生活用具一式を積み込んで都市空間を漂流する「ホームレス・ビークル」というシリーズ作品を展開、ホームレスや移民の問題への強い関心を示している。民主主義への真摯(しんし)な提言と、それぞれまったく別の文脈によって発展してきたメディア・アートとパブリック・アートを融合した先駆性によって、国際的なアーティストとしての評価はいまや揺るぎない。ドクメンタをはじめ、多くの国際展にも出品しており、1985年のアメリカ、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターでの展示を皮切りに、世界各地で回顧展が開催された。
一方で、芸術理論誌『オクトーバー』などで芸術論も多数発表しており、アートによる都市機能の活性化を説くなど論客としても知られる。1998年(平成10)にはヒロシマ賞を受賞し、翌1999年にはその記念として広島市現代美術館で個展が開催された。また2001年には横浜トリエンナーレに参加するなど、日本のアート・シーンとも縁が深い。
[暮沢剛巳]
『「第4回ヒロシマ賞受賞記念クシュシトフ・ウディチコ」(カタログ。1999・広島市現代美術館)』▽『Krzysztof WodiczkoArt Public, Art Critique (1995, Ecole Nationale Supérieure des Beaux-Arts, Paris)』