ウリャスタイ(その他表記)Uliastai

デジタル大辞泉 「ウリャスタイ」の意味・読み・例文・類語

ウリャスタイ(Uliastai/Улиастай)

モンゴル西部の都市。ザブハン県の県都。ザブハン川の支流ボグディンゴル川沿いに位置する。1926年から1961年までの旧称ジブハランツ。17世紀初頭、清朝ジュンガル征伐の拠点を置いたことに起源する。ウリヤスタイ。ウリアスタイ。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウリャスタイ」の意味・わかりやすい解説

ウリヤスタイ
Uliastai

モンゴル西部のザプハン・アイマク(州)の中心都市。Uliyasutaiとも書く。ザプハン川の支流ボグディン・ゴル河岸にある。1926年にジャプラントと改称されたが,61年にまたウリヤスタイにもどった。人口は73年当時で1万4000人。町の起源は17世紀初めに清朝がジュンガル征討の基地をこの付近に設けたことにある。そして定辺左副将軍烏里雅蘇台(ウリヤスタイ)将軍)をおき,これはやがて外モンゴル全体の軍事・行政を統べたが,1786年(乾隆51)に外モンゴル西部のみの軍事・行政を統べることになった。ウリヤスタイは革命前,外モンゴルにおいてクーロン(現,ウランバートル)につぐ都市であったが,モンゴル人より漢人の人口のほうがずっと多かった。
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百科事典マイペディア 「ウリャスタイ」の意味・わかりやすい解説

ウリヤスタイ

モンゴル西部,ザプハン川の支流ボグディン・ゴル河岸にあるザプハン・アイマク(州)の主都。1926年―1961年ジャプラントと称した。標高1500mに位置する。17世紀はじめに清朝が設けた基地に起源をもち,革命前はモンゴル第2の都市で,清朝の外モンゴル支配の中心地として栄えた。約2万4000人(2000)。
→関連項目セレンガ[川]ハンガイ[山脈]ホブスゴル・ノール[湖]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウリャスタイ」の意味・わかりやすい解説

ウリャスタイ
うりゃすたい
Uliastai

モンゴル西部、ザブハン県の県都。ザブハン川の支流ボグディン・ゴル川の河岸にある。標高1524メートル。人口2万4276(2000)。1926年にジブハランツと改称されたが、61年にウリャスタイに戻った。町の起源は17世紀初頭、清(しん)がこの付近にジュンガル征討の基地を設けたことに求められる。その後、清の外モンゴル支配の政治、軍事上の中心地として発展し、清代を通じてウルガ(現ウランバートル)に次ぐ町であった。現在はザブハン県の政治、経済、文化の中心地である。

吉田順一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウリャスタイ」の意味・わかりやすい解説

ウリヤスタイ
Uliastay

モンゴル北西部,ザブハン州州都。ハンガイ山脈南西麓の盆地,ザブハン川の支流であるボグド川,チンギス川の合流点,標高 1754mにある。北のムルンと南のアルタイを結ぶ自動車道路の中継地点。ウラーンバートルとは航空路で結ばれている。 1921年の革命まではザサクト・ハン部の中心地で,25年から一時ジャブフラント ǰavxlantと呼ばれていた。人口約1万 3000。

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