エセックス伯(読み)エセックスはく

百科事典マイペディア 「エセックス伯」の意味・わかりやすい解説

エセックス伯【エセックスはく】

英国の軍人エリザベス女王最後の寵臣。サー・フィリップ・シドニー未亡人と密かに情を通じていたにもかかわらず,1590年代の宮廷において急速に台頭し,一貫して対スペイン強硬論の立場を主張し,スペインのカディスへの遠征を指揮し,以後,枢密顧問官,警備長官へと昇進したため,その専横ぶりに対する批判も高まり,それが女王への批判ともなった。1599年アイルランド総督としての統治がうまくいかず,その弁明を行うために無断で帰国したかどで,官職爵位を剥奪された。1601年反乱を組織したが失敗して,ロンドン塔で斬首された。彼は当時隆盛しつつあった英国ルネサンスの文芸パトロンとしても著名であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「エセックス伯」の意味・わかりやすい解説

エセックス伯 (エセックスはく)
Robert Devereux, 2nd Earl of Essex
生没年:1566-1601

イギリスの軍人。ケンブリッジ大学卒。エリザベス1世晩年,若くして宮廷の寵児となる。終始,対スペイン戦における強硬派を代表。1590年秘密結婚がばれ不興を被る。96年スペインのカディス遠征に成功して寵を回復し,その後警備長官,アイルランド総督となる。99年任地の平定に失敗,弁明のため無断帰国し,官位を剝奪された。1601年謀反を企てて失敗,刑死。文芸の保護者としても有名。
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世界大百科事典(旧版)内のエセックス伯の言及

【エリザベス[1世]】より

…イギリス,チューダー朝の女王。在位1558‐1603年。ヘンリー8世と2番目の妃アン・ブーリンの子。1536年母が刑死し非嫡出子とされたが,44年には王位相続権を認められた。ルネサンス新学芸の影響下に成長し,幼時から聡明をもって聞こえた。弟エドワード6世治下では,王位をねらうノーサンバーランド公の陰謀を排し,姉メアリーの即位を助けた。54年ワイアットの反乱では姉により連座を疑われて一時入獄したが,ほどなく釈放され,58年メアリーの没後即位した。…

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