アメリカの生化学者。9月25日スペインに生まれる。マドリード大学医学部を卒業。ドイツのハイデルベルク大学とベルリンのカイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)でマイヤーホーフに師事し、さらにオックスフォード大学で研究、1941年にアメリカに渡り、ワシントン大学からニューヨーク大学に移り、1946年から1954年まで薬学部教授、同年生化学教室主任となった。1956年にアメリカ市民権を獲得した。研究は生化学の広範な分野にかかわっている。初期には脂肪酸酸化のβ酸化(ベータさんか)経路に関与する酵素をグリーンDavid Ezra Green(1910―1983)やF・リネンなどとともに明らかにした。また糖の酸化的分解過程のTCA回路(クレブス回路)の出発点である、アセチルリン酸とオキサロ酢酸とからクエン酸が生成する反応を触媒するクエン酸合成酵素(当初は縮合酵素と彼が命名)を発見した。1950年代には核酸の研究に入り、ヌクレオシド二リン酸を重合して長鎖のポリヌクレオチドを合成する酵素を1955年に発見した。これは天然のRNA(リボ核酸)合成の経路ではないが、RNAの生体外合成の最初の成功である。この研究により1959年、DNA(デオキシリボ核酸)の合成に成功したコーンバーグとともにノーベル医学生理学賞を受賞。また核酸によるタンパク質合成において、各アミノ酸に対応する核酸の塩基グループ、つまりコドンをニーレンバーグなどとともに明らかにした。
[宇佐美正一郎]
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スペイン生まれのアメリカの生化学者.1929年マドリード大学医学部でM.D.を取得し,カイザー・ウィルヘルム協会医学研究所のO.F. Meyerhof(マイヤホフ)のもとに留学.1931年マドリード大学講師に就任,医学研究所生理学部長を務めた(1935年).1936年内戦のため出国し,オックスフォード大学などを経て,ワシントン大学研究員(1941年).翌年ニューヨーク大学に移り,1946年教授に就任.1974年退職して,ロッシュ分子生物学研究所所員.1985年スペインに帰国した.かれは生物学的酸化,合成,エネルギー転移の酵素系を解明して,炭水化物および脂肪の代謝の基本的理解に寄与した.1955年酢酸菌から分離した酵素を使い,試験管内でRNAの酵素的合成に成功した.この業績で,1959年A. Kornberg(コーンバーグ)とともにノーベル生理学・医学賞を受賞.1960年代半ばには遺伝暗号の解読にも貢献した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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