アメリカの分子生物学者。ミシガン大学で学位を取得。NIH(National Institutes of Healthアメリカ国立衛生研究所)に勤務する。マタイJ. H. Matthaei(1929―)とともに無細胞系をつくり、タンパク質合成の研究を始める。1961年、この系で人工RNA(リボ核酸)であるウリジル酸(ポリU)を鋳型として用いたところ、1種類のアミノ酸、フェニルアラニンからなる人工ポリペプチドが得られた。三つ組みの塩基が一つのアミノ酸に対応していることは示唆されていたが、それが実証されたのはこれが初めてである。残る19のアミノ酸に対する暗号の解読をめぐり、1964年、三つの塩基による短い人工RNAを用いる方法を開発したニーレンバーグと、この謎(なぞ)解きに参入したオチョアとの間に激しい競争が展開された。この競争にコラーナも加わり、1967年には20種類のアミノ酸に対応する塩基の組合せ(遺伝暗号の単位=コドン)はすべて解読された。1968年、コラーナ、ホリーとともに、「遺伝情報の解読とタンパク質合成におけるその機能の解明」によりノーベル医学生理学賞を授与された。
[石館三枝子]
アメリカの生化学者.フロリダ大学を卒業後,大学院ではトビケラの分類学で修士号を取得.ミシガン大学に移ってから生化学に転じ,1957年学位を取得して,国立衛生研究所(NIH)に入り,1960年より同研究所所員,1962年同研究所遺伝生化学部長となる.1961年H.J. Matthaeiとともに人工RNAポリウリジル酸を加えることによってアミノ酸からポリ(フェニルアラニン)を合成することに成功し,遺伝暗号の解読に先べんをつけた.その後,1966年までに,かれと,S. Ochoa(オチョア),H.G. Khorana(コラーナ)らによってほぼすべてのコドンが解読された.これらの業績により,1968年Khorana,tRNAの構造を解明したR.W. Holleyとともにノーベル生理学・医学賞を受賞.1960年代末以降は神経生物学の研究に従事した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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