日本大百科全書(ニッポニカ) 「クレーン」の意味・わかりやすい解説
クレーン(起重機)
くれーん
crane
重量物を吊(つ)り上げ、移動させる機械。起重機ともいう。機械装置のなかではもっとも古くから利用されてきたものの一つで、古代エジプトのピラミッド建設における重量物運搬用に各種のクレーンが使用されて以来、約5000年の歴史をもつ。最初は人力、畜力あるいは水力が使われたが、19世紀中ごろから蒸気動力が使用され、19世紀終わりごろから電力の使用が始まった。日本には1871年(明治4)ごろ輸入され、造船所に設置されたのが初期のものである。
産業機械としてのクレーンの利用度は高く、経済、社会の発展に伴い、大型化、高速化、最近では自動化へと著しい進歩を示している。現在、クレーンは用途、能力別にきわめて多種のものがつくられ、各種産業や建設工事に多用されている。代表的なクレーンとしては、トラッククレーンtruck crane、クローラークレーンcrawler craneなどの自走クレーン、ジブクレーンjib crane、タワークレーンtower crane、門形(もんがた)クレーン、天井クレーン、ケーブルクレーンcable craneなどがある。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
自走クレーン
クレーンに車輪または履帯を備え、軌道によらず自走できる。もっとも一般的なものはトラッククレーンおよびクローラークレーンであり、建設工事における主力揚重機械となっている。トラッククレーンは下部走行体の形式がトラックシャシーにクレーンを搭載したもので、路面状況が良好な場合は機動性に優れている。クローラークレーンは、下部走行体が履帯式のもので、接地圧が低く足場の悪い所でも使用できるのが特長である。いずれも吊り上げ能力20トン未満のものから、大型機では200トン吊り以上のものまである。荷を吊って走行できる軽便なクレーンとしてホイールクレーンwheel tractor craneがある。吊り上げ能力3~20トン程度が一般的で、建設工事、工場・倉庫、港湾荷役などに用いられる。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
ジブクレーン
張り出したジブ(ブームboom)の先端に荷物を吊り下げて荷役を行うクレーンで、固定形と、軌条上を走行する走行形があり、いずれも360度旋回できるものが普通である。吊り上げ能力は1トン未満から1000トンを超える超大型機まであり、その用途は土木建築、造船所、港湾荷役など広範囲にわたる。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
タワークレーン
高層建築物の建設に多用される。高いタワー頂部に旋回体があり、これに起伏形または水平形のブームを取り付けたものである。固定式と移動式に大別される。固定式タワークレーンは、タワー頂部のクレーン本体をせり上げることによって塔高を変更できるセルフクライミング形が普及し、超高層ビル工事用では最大揚程200メートル以上の機種もある。移動式タワークレーンは、クローラークレーンのクレーンブームのかわりにタワークレーンの付属装備品をつけたものが一般的である。タワーの自立、折り畳みが自力ででき、自走式なので機動性に富み、クローラークレーンに比べてふところが深いなどの特長があり、中層建築工事に多用される。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
門形クレーン
主として屋外地上に敷設された軌条上を走行する門形の桁(けた)上にトロリーを横行させて荷役するクレーンで、橋形(はしがた)クレーンあるいはゴライアスクレーンgoliath craneともいう。吊り上げ能力5~1500トン、門形桁径間5~200メートルのものがそれぞれ用途に応じて使用され、軌条走行式のほかに固定式およびタイヤ走行式のものも製作されている。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
天井クレーン
門形クレーンと類似の構造のもので、工場・倉庫などの天井部分に設置されるのでこの名がある。相対する壁に沿って設けた軌条に直角に走行する桁をのせる。この桁に巻き上げおよび横行装置をもつトロリーをのせ、桁の走行と桁上のトロリーの横行により吊り上げた重量物を運搬する。吊り上げ能力は、3~200トン程度が普通である。天井クレーンは、各種製造工場、倉庫、発電所などで資材・製品運搬、機械据付けなどに広範囲に使用され、ばら物原料専用のグラブバケット付き天井クレーン、トロリーの下に旋回ジブをつけた旋回ジブ付き天井クレーンなど用途に応じ種々の形式がある。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
ケーブルクレーン
二つの支柱(塔)間にかけ渡したワイヤロープを軌道として、これにトロリーを走行させ吊り上げ運搬を行うもので、古くは山地の川駕籠(かご)渡しに始まり、現在のダム建設工事、橋梁(きょうりょう)架設などに使用される本格的ケーブルクレーンに発展した。大型ダム工事では、吊り上げ能力20~28トン、支間1000メートル級のものが用いられており、遠隔制御による運転の自動化も進んでいる。主索を支持する塔の形式によって、固定形、片側走行形、両側走行形などに分類される。
固定形は両端の支柱を固定したもので、一般に小規模なダム工事や補助クレーンとして用いる。片側走行形は、一端を固定し反対側の鉄塔を円弧状に移動させる形式であり、両側走行形は、両端の鉄塔が平行または円弧状に移動する形式である。
[河野 彰・清水 仁・鴫谷 孝]
クレーン(Stephen Crane)
くれーん
Stephen Crane
(1871―1900)
アメリカの小説家、詩人。メソジスト派の牧師の子としてニュー・ジャージー州に生まれたが、8歳で父を亡くす。早くからスケッチ風の短編を書き、また新聞社の地方通信員の兄を手伝って記事を執筆するが、ガーランドのリアリズム文学についての講演を取材して感銘を受ける。1891年大学を中退してニューヨークに出、赤貧に甘んじながら、在学中に書き始めた『街の女マギー』を完成させる。売春婦に転落し、自殺に追い込まれていく哀れな娘の運命を描いたこの作品は、反道徳的なものとみなされ、93年自費出版せざるをえなかったが、ガーランドやハウェルズに認められ、やがてアメリカにおける自然主義文学の先駆的作品と目されるに至る。95年『赤色武勲章』が出版されるや一躍有名になる。この作品は、戦争体験が無くまったくの想像力で書かれたが、一方、体験こそ真実発見の道だと信じるクレーンは、通信社の求めに応じて西部やメキシコに取材の旅をしたり、ギリシア・トルコ戦争、アメリカ・スペイン戦争の従軍記者となって戦場に赴く。とくに97年キューバ革命の取材に出かけようとしてフロリダ沖で船が難破し、九死に一生を得る。その体験をもとに書かれたのが短編「オープン・ボート」(1897)である。彼の私生活や作品における因習にとらわれない態度は多くの誤解や中傷を招き、同年イギリスに居を移す。コンラッドらと親交を結ぶが、肺結核を病み、28歳の若さで世を去る。長編『ジョージの母』(1896)、短編集『オープン・ボート』(1898)、『怪物』(1899)、『ホワイロムビル物語』(1900)、詩集『黒い騎士たち』(1895)などがある。イメージの豊かな、簡潔な文体、印象主義的手法はヘミングウェイなどに影響を与え、また彼の詩は現代詩におけるイマジズムの先駆と称される。
[板橋好枝]
『押谷善一郎著『スティーヴン・クレイン』(1981・山口書店)』
クレーン(Harold Hart Crane)
くれーん
Harold Hart Crane
(1899―1932)
アメリカの詩人。オハイオ州の富裕なキャンディー商を父として生まれる。13歳から詩作し、17歳のとき、大学入学の準備でニューヨークに出る。しかし、ここで詩人仲間に加わり、進学を放棄。その後、T・S・エリオット、E・パウンドらに学び、しだいに詩人としての地位を固めた。しかし猛烈な詩作活動と生活上の破綻(はたん)は、彼をアルコール中毒と同性愛に追いやり、投身自殺の原因をつくった。詩集に『白いビルディング』(1926)、『橋』(1930)があり、高度に凝縮された詩語とイメージの難解な作品だが、同時代アメリカ詩人のなかでも批評的声価は最高を極める。
T・S・エリオットが『荒地(あれち)』で意図したヨーロッパ文明崩壊のビジョンに対抗すべく、クレーンは長詩『橋』でアメリカの文学的、文化的伝統に基づく肯定的ビジョンを創造しようと試みた。だが、生来の叙情的資質と、モダニスティックな手法は、相いれなかったようである。
[徳永暢三]
『徳永暢三著『ことばの戦ぎ』(1979・中教出版)』▽『鍵谷幸信編『現代詩集Ⅱ アメリカ イギリス』(『世界詩人全集21』所収・1969・新潮社)』