ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポチョムキン号の反乱」の意味・わかりやすい解説
ポチョムキン号の反乱
ポチョムキンごうのはんらん
Vosstanie na Bronenosetse Potëmkine
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1905年6~7月にロシア黒海艦隊の戦艦「ポチョムキン号」Потёмкин/Potyomkinで起こった水兵の反乱で、ロシアの1905年革命における最大の艦隊反乱。その背景には、旅順要塞(ようさい)陥落や対馬(つしま)沖でのバルチック艦隊の壊滅といった日露戦争(1904~1905)敗北のなかで、上官の退廃と横暴に対する兵士・水兵の不満の高まりがあった。反乱のきっかけは、ウジのわいた肉入りボルシチを水兵たちが拒否、将校と衝突したことにある。艦内の権力を握った水兵たちは艦隊委員会を選出し、艦をゼネストの行われているオデッサ(現、オデーサ)に入港させた。オデッサの社会民主労働党の組織は、水兵たちに上陸してゼネストに合流することを働きかけた。他方、政府は反乱鎮圧のため黒海艦隊の二分艦隊を派遣したが、同艦隊の水兵はポチョムキン号攻撃を拒否、反乱を恐れた分艦隊は引き揚げた。ポチョムキン号はその後ルーマニアのコンスタンツァで同政府に引き渡され、水兵たちの多くは亡命した。なおこの反乱は、ソ連のエイゼンシュテインが1925年に映画化(『戦艦ポチョムキン』)したことでも知られている。
[藤本和貴夫]
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