日本大百科全書(ニッポニカ) 「古代歌謡」の意味・わかりやすい解説
古代歌謡
こだいかよう
奈良時代から平安初期にかけての資料(書物、文書、金石文)に収められている歌謡の総称。資料が奈良時代のもの、および資料が平安時代のものでも歌が奈良時代までさかのぼりうるものを「上代歌謡」といい、『古事記』『日本書紀』のものをとくに「記紀歌謡」という。資料には『古事記』(歌数112。以下同じ。ただし112は113とする説もある)、『日本書紀』(128)、『琴歌譜(きんかふ)』(22)、『風土記(ふどき)』(21)、奈良薬師寺の仏足石碑(ぶっそくせきひ)の仏足石歌(21)、『日本霊異記(にほんりょういき)』(10)その他や、神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)、東遊歌(あずまあそびうた)、風俗歌(ふぞくうた)などがあり、『万葉集』にも少数収められている。これら資料の歌謡(なかには歌謡と認められないものもある)のありようは多様で、たとえば、『風土記』のものは民謡として記されているものが多く、記紀歌謡や『日本霊異記』『風土記』などのものは登場人物や神の詠歌という形を多くとっている。たとえば「大和(やまと)は 国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく 青垣(あをかき) 山ごもれる 大和しうるはし」は、『古事記』で倭建命(やまとたけるのみこと)(日本武尊)の望郷の歌として記している。このような例も含めて古代歌謡は民謡、芸謡、宮廷歌謡など性格も種々で、歌体も長歌、短歌、片歌(かたうた)、旋頭歌(せどうか)、仏足石歌体など多彩である。「今はよ 今はよ ああしやを 今だにも 吾子(あご)よ 今だにも 吾子よ」(日本書紀)のように、音数の整わない歌や、囃子詞(はやしことば)の入った歌も多くみられ、生彩ある内容とともに、たとえば農村共同体など民衆の共有財産として実際に歌われていた歌としての歌謡の姿がうかがえる。洗練された趣のある宮廷歌謡も含めて、古代歌謡は、作歌としての和歌の世界とは別の歌の世界があることを示しており、文学史を構築するうえでも貴重な存在である。
[遠藤 宏]
『土橋寛著『古代歌謡の世界』(1968・塙書房)』▽『土橋寛・小西甚一校注『日本古典文学大系3 古代歌謡集』(1957・岩波書店)』▽『土橋寛・池田弥三郎編『鑑賞日本古典文学4 歌謡1』(1975・角川書店)』