日本大百科全書(ニッポニカ) 「カナリア諸島」の意味・わかりやすい解説
カナリア諸島
かなりあしょとう
Islas Canarias
アフリカ大陸の北西岸、ジュビ岬から西へ約115キロメートルの大西洋上に点在するスペイン領の諸島。総面積7273平方キロメートル、総人口169万4477(2001)。火山列島であり、テネリフェ島のテイデ山(3718メートル)をはじめ多くの火山がある。行政的には、東部のラス・パルマス県と西部のサンタ・クルス県とに分かれる。前者は、ランサローテ島(795平方キロメートル)、フェルテベントゥーラ島(1731平方キロメートル)、グラン・カナリア島(1532平方キロメートル)の諸島で構成される。後者は、テネリフェ島(2057平方キロメートル)、ゴメラ島(378平方キロメートル)、ラ・パルマ島(728平方キロメートル)、イエロ島(277平方キロメートル)からなる。県都は、それぞれラス・パルマスと、サンタ・クルスで、両市に総人口の約35%が集中している。
気候は海洋の影響を受け、また北東貿易風帯にあり、亜熱帯気候で、常春(とこはる)の避暑地として有名である。年平均気温は16~21℃。サンタ・クルスでは年降水量252ミリメートル、日照時間2876時間、その南西のイザニャでは3354時間とスペイン最多で(1978)、一年中乾燥している。各島の周囲は急崖(きゅうがい)で、森林はなく半砂漠状であるが、灌漑(かんがい)によってバナナ、トマト、ジャガイモ、タバコ、タマネギ、果実などが栽培され、輸出されている。
工業は魚の缶詰、タバコ加工、石油精製が行われる。15世紀以来、大西洋航路の要衝として栄え、現在は航空路の重要中継地でヨーロッパとの交通が頻繁である。観光業が盛んで、若年層の人口流入も多い。日本の遠洋漁業の基地でもある。島民は、スペイン人とかつての先住民グアンチェ人との混血を祖先とする人々で、カトリック教徒である。小鳥のカナリアの原産地。
[田辺 裕・滝沢由美子]
歴史
古代ローマ人の間では「幸運諸島」の名で知られていたが、中世に入り、いったん人々の記憶から消える。1312年ジェノバ人マルセロ・ランサローテにより再発見され、1339年製作のアンジェロ・ドゥルセートの海図に再登場する。こののち、ポルトガルや地中海沿岸地域からの通航が盛んになるにつれ、ポルトガルとカスティーリャ(スペイン)が領有をめぐって対立し、結局、1479年のアルカソバス条約によりカスティーリャへの帰属が確定した。こののち1480年以後、カスティーリャによる本格的な征服事業が進行する。この過程で、先住民であるグアンチェ人は、レコンキスタ(国土回復戦争)でのカスティーリャの敵対者であるモロ人(イスラム教徒)と同列視されたため、自発的にカスティーリャ王に服してキリスト教を受け入れた場合はカスティーリャ臣民(自由民)としての法的身分が保証されたものの、反乱者は武力制圧ののち奴隷として売買された。こうした征服形態は新大陸の征服にも適用された。16世紀からは新大陸とスペイン本国との通航の中継地としての役割を果たし、南アメリカ、とりわけベネズエラ地域へ多数の移住者を送り出した。
[青木康征]