日本から約1万2千キロ離れたアフリカ大陸北西沿岸に近い大西洋にあるスペイン領の島々。スペイン本土とは約千キロ離れ、アフリカ大陸までは約100キロ。火山島で、テネリフェ島のテイデ山(3718メートル)はスペイン最高峰。9月にはラパルマ島の火山が噴火した。温暖で豊かな自然が広がり、英国やドイツなど世界中から多くの観光客が訪れ「欧州のハワイ」とも呼ばれる。遠洋漁業の中継地でもあり、日本のマグロ漁船がグランカナリア島の港を利用している。
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大西洋上のモロッコ沖に位置するスペイン領の火山群島。地質学上はアフリカに属するが,非常に深い海溝によって隔てられる。主要7島と多くの小島から成り,総面積7273km2。総人口169万4477(2001)。テネリフェ島にある活火山テイデは標高3710mで,スペインの最高峰。カナリア諸島は行政上,東半分のラス・パルマス(主都ラス・パルマス)と西半分のサンタ・クルス・デ・テネリフェ(主都サンタ・クルス・デ・テネリフェ)の2県に分かれる。気候は年間を通じて温暖だが,降水量はとくに東部諸島で少ない。主要産業は農業(バナナ,トマト,タバコ),漁業とその関連加工産業および観光で,日本の遠洋漁業の基地もある。
カナリア諸島の存在は漠然としたかたちながら,ローマ時代に知られ,インスラエ・フォルトゥナタエInsulae Fortunatae(幸運諸島)と呼ばれた。現在の名は野生の犬が多いとの想像から,大プリニウスがつけたといわれる。ローマ帝国の滅亡後一時忘れられたが,1312年ジェノバの航海者ランチェロット・マルチェロが再発見したとみられ,39年製作の地図に初めてその一部が記載された。その後ローマ教皇クレメンス4世(在位1265-68)は,原住民への布教活動を条件に同諸島の領有権をカスティリャ王アルフォンソ10世の曾孫ルイス・デ・ラ・セルダに与えた。しかしポルトガル王はこれを不服とし,以後15世紀末までカナリア諸島の帰属をめぐって両国は対立した。15世紀初頭,カスティリャ王の了承の下にノルマンディーの貴族ジャン・ド・ベタンクールが率いる一隊がランサローテ島に上陸,引き続きフェルテベントゥラ,ゴメラ,イエロの3島を征服した。征服はこの後一時中断したが,1478年にイサベル1世によって再開され,1500年までには残るラ・パルマ,グラン・カナリア,テネリフェの3島の征服が完了した。またアルカソバス条約(1479)でカスティリャはカナリア諸島領有に関する最終的承認をポルトガルから取り付けた。
レコンキスタ(国土回復戦争)の伝統に立つイベリア諸国にとって,アフリカと大西洋への進出は,自明の理だった。だが,この点でカスティリャはポルトガルに大きな遅れを取っていた。それだけにカナリア諸島の征服と領有には,カスティリャの未来がかかっていた。グラナダ王国の征服に先んじてイサベル女王がカナリア諸島の完全征服に着手したのも,こうした政治的展望に立ってのことであった。事実,コロンブスの第1回航海を皮切りに,その後3世紀間,大西洋横断のスペイン船にとって,カナリア諸島は掛替えのない中継基地となった。また,カナリア諸島の先住民はグアンチェ族と呼ばれるが,キリスト教徒でもイスラム教徒でもない彼らとの出会いは,スペイン人にとって未知の体験だった。キリスト教への改宗とスペイン人入植者との混血を通して,グアンチェはやがて完全にスペイン社会に吸収同化されたが,この過程で生起した被征服民の奴隷化その他さまざまな問題は,まもなくスペイン人がインディアス(新世界)で直面する問題の先駆け例となった。
執筆者:小林 一宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アフリカ大陸の北西岸、ジュビ岬から西へ約115キロメートルの大西洋上に点在するスペイン領の諸島。総面積7273平方キロメートル、総人口169万4477(2001)。火山列島であり、テネリフェ島のテイデ山(3718メートル)をはじめ多くの火山がある。行政的には、東部のラス・パルマス県と西部のサンタ・クルス県とに分かれる。前者は、ランサローテ島(795平方キロメートル)、フェルテベントゥーラ島(1731平方キロメートル)、グラン・カナリア島(1532平方キロメートル)の諸島で構成される。後者は、テネリフェ島(2057平方キロメートル)、ゴメラ島(378平方キロメートル)、ラ・パルマ島(728平方キロメートル)、イエロ島(277平方キロメートル)からなる。県都は、それぞれラス・パルマスと、サンタ・クルスで、両市に総人口の約35%が集中している。
気候は海洋の影響を受け、また北東貿易風帯にあり、亜熱帯気候で、常春(とこはる)の避暑地として有名である。年平均気温は16~21℃。サンタ・クルスでは年降水量252ミリメートル、日照時間2876時間、その南西のイザニャでは3354時間とスペイン最多で(1978)、一年中乾燥している。各島の周囲は急崖(きゅうがい)で、森林はなく半砂漠状であるが、灌漑(かんがい)によってバナナ、トマト、ジャガイモ、タバコ、タマネギ、果実などが栽培され、輸出されている。
工業は魚の缶詰、タバコ加工、石油精製が行われる。15世紀以来、大西洋航路の要衝として栄え、現在は航空路の重要中継地でヨーロッパとの交通が頻繁である。観光業が盛んで、若年層の人口流入も多い。日本の遠洋漁業の基地でもある。島民は、スペイン人とかつての先住民グアンチェ人との混血を祖先とする人々で、カトリック教徒である。小鳥のカナリアの原産地。
[田辺 裕・滝沢由美子]
古代ローマ人の間では「幸運諸島」の名で知られていたが、中世に入り、いったん人々の記憶から消える。1312年ジェノバ人マルセロ・ランサローテにより再発見され、1339年製作のアンジェロ・ドゥルセートの海図に再登場する。こののち、ポルトガルや地中海沿岸地域からの通航が盛んになるにつれ、ポルトガルとカスティーリャ(スペイン)が領有をめぐって対立し、結局、1479年のアルカソバス条約によりカスティーリャへの帰属が確定した。こののち1480年以後、カスティーリャによる本格的な征服事業が進行する。この過程で、先住民であるグアンチェ人は、レコンキスタ(国土回復戦争)でのカスティーリャの敵対者であるモロ人(イスラム教徒)と同列視されたため、自発的にカスティーリャ王に服してキリスト教を受け入れた場合はカスティーリャ臣民(自由民)としての法的身分が保証されたものの、反乱者は武力制圧ののち奴隷として売買された。こうした征服形態は新大陸の征服にも適用された。16世紀からは新大陸とスペイン本国との通航の中継地としての役割を果たし、南アメリカ、とりわけベネズエラ地域へ多数の移住者を送り出した。
[青木康征]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大西洋上のモロッコ沖にあるスペイン領の火山群島。15世紀初頭よりカスティリャ王国の影響下にあるヨーロッパ人たちによる征服が始まり,1496年カスティリャ王国が征服を完了。その後,グアンチェ人を中心とする先住民のカスティリャ化,キリスト教化,スペイン人との混血が急速に進展した。現在は一自治州を構成。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…品種改良が行われ,多数の品種がある。原種は北アフリカ近くの大西洋上にあるカナリア,マデイラ,アゾレス諸島にのみ分布している。雌雄異色で,雄はマヒワに似た色である。…
…こうして,のちにスペインが新大陸で行ったプランテーション経営の原型が生まれた。 カスティリャもポルトガルに対抗するために海上に進出したが,カナリア諸島を支配下におさめただけであった。しかしこの間に,1469年にはカスティリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドの結婚によってスペイン王国(スペイン帝国)が成立した。…
※「カナリア諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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