カロル2世(読み)カロルにせい(英語表記)Carol II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カロル2世」の意味・わかりやすい解説

カロル2世
カロルにせい
Carol II

[生]1893.10.15. シナイア
[没]1953.4.4. リスボン
ルーマニア国王 (在位 1930~40) 。フェルディナンド1世 (在位 14~27) の長子。 1914年に皇太子となり,21年にギリシアの王女エレナと結婚。 27年にルペスク夫人との関係清算を拒否,王位継承権を放棄してパリに移住。 30年に突如帰国して即位を宣言,鉄衛団を利用し,のちにはそれと対立しながら独裁的な統治を進め,次第に枢軸側に接近。 40年に領土の半分近くを失い,国を追われ,ルペスク夫人とともにフランス,スイスメキシコポルトガルなどに住んだ。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カロル2世」の解説

カロル2世(カロルにせい)
Carol Ⅱ

1893~1953(在位1930~40)

ルーマニアの国王。国王フェルディナンド1世(在位1914~27)の長子。25年王位継承権を放棄しパリに移住(長子ミハイ1世が即位)。30年帰国し王位についた。既成政党を弱体化させ,38年議会を解散政党を禁止し国王独裁体制をしいた。40年周辺諸国の領土要求を受け入れベッサラビア,北ブコヴィナをソ連に,北トランシルヴァニアをハンガリーに(ウィーン裁定),南ドブロジャをブルガリアに割譲し,王位をミハイ1世に譲り亡命した。

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20世紀西洋人名事典 「カロル2世」の解説

カロル2世
Carol Ⅱ


1893 - 1953
ルーマニア国籍。
元・ルーマニア国王。
カロル1世の甥のフェルディナンド1世の長男として生まれる。ドイツ士官の教育を受け、帰国して皇太子となったが、2度の結婚の後、王位継承権を捨てて西欧へ亡命した。1930年に帰国し、息子のミハイ1世を退位させて王位に就いた。ムッソリーニを崇拝し、’38年に個人独裁を敷いた。’40年に枢軸国とソ連に領土の三分の一を奪われ王位をミハイに譲って亡命しポルトガルで客死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「カロル2世」の解説

カロル2世

生年月日:1893年10月16日
ルーマニア王(在位1930〜40)
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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