カートライト(読み)かーとらいと(英語表記)Dorwin Philip Cartwright

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カートライト」の意味・わかりやすい解説

カートライト(Edmund Cartwright)
かーとらいと
Edmund Cartwright
(1743―1823)

イギリスの牧師力織機の発明者。ノッティンガム州の旧家に生まれ、オックスフォード大学を卒業後、40歳過ぎまでは聖職者として過ごす。1784年の夏、アークライトの紡績機の特許が切れたためにマンチェスターに大量の綿糸が出回るようになり、織工が不足していることを聞き、力織機の製作を思い立ったといわれている。1785年に力織機の基本特許を得る。最初の力織機はごく粗末なものであったが、1786年、1787年と新しい特許を加え、近代的な力織機へと発展させた。1785年にヨークシャーのドンカスターに紡織工場を設立し、工場経営にも乗り出した。1789年には梳毛(そもう)機の特許を得ている。1792年にはロープ製造機、1797年にはアルコール機関を発明した。一部は蒸気機関で運転し、力織機500台を据え付けた工場をマンチェスターに設立したが、力織機の出現に反対する暴徒によって1792年焼打ちされてしまった。当時の多くの発明家と同様、商業的な利益を収められなかったが、イギリス下院は彼の功績に対し1万ポンドを贈っている。工場が焼かれたのちケント州に小さな農場を買い、余生を送った。サセックス死去。議会改革者として改革の父とよばれたジョン・カートライトJohn Cartwright(1740―1824)は兄である。

篠原 昭]


カートライト(Dorwin Philip Cartwright)
かーとらいと
Dorwin Philip Cartwright
(1915―2008)

アメリカの社会心理学者。スワースモア大学を経てハーバード大学に学び、1940年学位をとる。ドイツ生まれの心理学者K・レビンおよびその仲間の影響を強く受け、レビンが主宰した「トポロジー・グループ」の有力な一員であった。1940~1942年アイオワ州立大学研究員(この時期レビンが同大学児童福祉研究所にいた)、第二次世界大戦中は農務省調査部門の研究指導員、戦後はレビンがマサチューセッツ工科大学創設した「グループ・ダイナミックス研究センター」で、リピットRonald Otis Lippitt(1914―1986)、フレンチJohn R. P. French(1913―1995)、フェスティンガーらとともに活動したが、レビンの死(1947)後、センターはミシガン大学に移り、カートライトが主宰して活発な研究活動を行った。

[宇津木保]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カートライト」の意味・わかりやすい解説

カートライト
Cartwright, Alexander Joy

[生]1820.4.17. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1892.7.12. ハワイ,ホノルル
現行の野球ルールの原型をつくった人物。ニューヨークのアマチュア野球チーム,ニッカーボッカー野球クラブの創設者の一人で,本職は測量技師。1845年チーム内に設けられた委員会の長としてルールを制定。翌 1846年ニュージャージー州ホーボーケンで行なわれたニッカーボッカー対ニューヨーク・ナイン戦で,このルールが初めて採用されたといわれる。ロビン・カーバーの "Book of Sports"(1834)を下敷きにしつつ,いくつかの重要な新規定を導入。走者をアウトにする際,ボールを投げて走者にあてる従来の方法に替え,守備側の者が塁にボールを送る方法を導入したのがその代表例で,これにより硬球の使用が可能になった。また,塁間を 90フィート(27.432m)に定めたのもカートライトとされている。

カートライト
Cartwright, Edmund

[生]1743.4.24. ノッティンガムシャー,マーンハム
[没]1823.10.30. サセックス,ヘースティングズ
イギリスの発明家,事業家,聖職者。オックスフォード大学を卒業して教区司祭となった。 1786年リンカーン大聖堂参事会会員。 84年にアークライトの工場を見学してから織機に興味をもち,85年,動力織機を発明して,その特許を得た。この機械を改良し,蒸気機関を動力とする紡績工場を建設。工場そのものは8年後に倒産したが,彼はほかにも羊毛の梳毛機械 (1789) ,縄ない機,アルコール蒸気機関などの発明,改良に打込み,産業革命期のイギリスの技術に大きな貢献をした。 1809年,議会は彼の功績に対して1万ポンドを贈った。

カートライト
Cartwright, Thomas

[生]1535
[没]1603.12.27.
イギリスの清教徒神学者。ケンブリッジ大学に学ぶ。宗教改革に賛意を示したため,メアリー1世の即位とともに追放され (1553) ,彼女の在位中は国外に亡命。帰国後,ケンブリッジ大学のフェローとなるが,イギリス国教会の教規や制度を激しく批判したため,4度も国外に逃亡した。しかし不屈の意志をもって,エリザベス1世治下の清教主義運動の指導者として活躍した。また長老派主義をチャネル諸島に広めるためにも努力した。

カートライト
Cartwright, John

[生]1740.9.17. ノッティンガムシャー,マーンハム
[没]1824.9.23. ロンドン
イギリスの急進的な議会改革主義者。多数のパンフレットを発行し憲法情報協会 (1780) ,ハムデン・クラブ (1812) を創設。その主張の大部分はのちに人民憲章のなかに具体化された。動力織機の発明で有名な E.カートライトの兄。

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