日本大百科全書(ニッポニカ) 「アークライト」の意味・わかりやすい解説
アークライト
あーくらいと
Sir Richard Arkwright
(1732―1792)
イギリス産業革命期の発明家、企業家。水力紡績機(ウォーター・フレーム)の発明で知られる。12月23日、ランカシャーのプレストンの貧家の13人兄弟(7人ともいわれる)の末子として生まれる。理髪師の徒弟となり、のちにボールトンで開業、かつらの製作も兼営した。1760年代後半から紡績機に関心をもち、1768年、回転速度の異なる数組のローラーによる粗糸の引伸し機構と、旧来の紡車の一種のフライヤー紡錘の撚(よ)りかけ・巻取りの機構とを組み合わせ、共通の動力で駆動する紡績機を考案し、1769年特許を取得した。この紡績機は現在ロンドンの科学博物館に展示されているが、当時、ハーグリーブスのジェニー紡績機が横糸生産に限られ、工程が断続的で手工業的熟練を必要としたのに対し、これは縦糸生産が可能で、工程の連続化、熟練の不要化、人力以外の動力使用による大量生産の可能性を開いた点など、細糸生産には適さないという限界をもつものの、最初の本格的な紡績機であった。
1768年にノッティンガムに開設した工場の動力は馬であったが、1771年開設のダービーシャーのクロムフォード工場は水力を動力とする大工場であった。水力紡績機の名称はこれに由来する。紡績工程の機械化は、むらのない原料粗糸の大量供給を可能とする前紡工程の機械化を必要としたため、この課題に取り組み、梳綿機(そめんき)、練条機(れんじょうき)などを考案し、1775年に特許を取得した。以後、これらの機械を有機的に結合、配置し、共通の動力で駆動する機械体系を設備した大紡績工場をダービーシャーを中心に各地で経営し、産業革命期の代表的企業家となった。また、1790年には工場動力として蒸気機関の導入も試みた。
一連の機械の発明に際しての彼の独創性については、その当時から異論があった。そのため彼の特許は、その独占に反対するランカシャーの綿業経営者との間の訴訟の結果、1785年に無効となった。しかし、その着想は他人のものであれ、これを実用に堪える機械に仕上げた点、および近代的工場制度の創始と経営管理の成功は彼に帰すべきものである。特許の取消しも事業経営には打撃とはならず、1786年ナイトの称号を授けられ、1787年にはダービーシャーの州長官に任命された。1792年8月3日クロムフォードで没した。
[水野五郎]
『小松芳喬著『産業革命期の企業者像――綿業王アアクライト伝考』(1979・早稲田大学出版部)』