ノッティンガム(その他表記)Nottingham

デジタル大辞泉 「ノッティンガム」の意味・読み・例文・類語

ノッティンガム(Nottingham)

ノッチンガム

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精選版 日本国語大辞典 「ノッティンガム」の意味・読み・例文・類語

ノッティンガム

  1. ( Nottingham ) イギリスイングランド中央部の都市。イングランドの重要な水上交通路、トレント川中流の左岸にある。古代から商業都市として発達。織物業が特に盛んで、東ペニン工業地帯の一部を形成する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノッティンガム」の意味・わかりやすい解説

ノッティンガム
Nottingham

イギリスイングランド中部の都市。単一自治体(ユニタリー unitary authority)。1998年にノッティンガムシャー県から分離して単一自治体となった。ロンドンの北北西約 180kmにあり,トレント川に臨む。6世紀にアングロ・サクソン人が居住したのに始まる町で,9世紀にはデーン人に占領され,デーン人の法律が支配するデーンロー地域における主要な町の一つとなった。1066年のノルマン・コンクェスト後,新しい集落が建設され,1300年頃それら二つの集落が合併して一つの町となった。最初の勅許状は 1155年ヘンリー2世によって与えられ,周辺地域での染色業の独占が認められた。ミッドランド地方東部の炭田地帯の中心都市で,交通の要地となっているほか,工業都市としても重要。中世以来のメリヤス工業,レース工業の中心地で,これらに関連して染色,漂白衣料などの工業が立地するほか,鉄鋼,皮革,たばこ,医薬品,醸造,自転車,印刷,自動車部品,電機などの工業がある。古い建物が多く,ノルマン朝期に創建されたノッティンガム城はその後数回にわたり破壊,再建され,博物館として利用されている。ノッティンガム大学(1948),劇場など学術・文化施設も多い。ロビン・フッド伝説の地。面積 75km2。人口 27万8700(2005推計)。

ノッティンガム(伯)
ノッティンガム[はく]
Nottingham, Daniel Finch, 2nd Earl of

[生]1647.7.2.
[没]1730.1.1. ケント
イギリスの政治家。大法官をつとめた初代伯ヘニッジ・フィンチ長男。トーリー党員で,1680年枢密顧問官,81年海軍卿。名誉革命は一応支持したが,オランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世 ) の王位承認には不賛成で摂政案を主張し,条件付きで妥協したのち,93年まで国務卿をつとめた。 1702年アン女王の登位とともに再び国務卿に就任したが,2年後ホイッグ党が優勢になって辞任以後,高教会派 (国教会右翼) トーリー党員の指導者として,11年の便宜的国教徒禁止法の制定その他に活躍。 14年枢密院議長になったが,16年「十五年の反乱」に関与したジャコバイト貴族たちへの寛恕を唱えて解任され,晩年は郷里に引退した。

ノッティンガム(伯)
ノッティンガム[はく]
Nottingham, Charles Howard, 2nd Baron Howard of Effingham and 1st Earl of

[生]1536
[没]1624.12.13. サリー,クロイドン近郊
イギリスの貴族,海軍軍人ハワード家一員。2代ノーフォーク公の孫でエリザベス1世の従弟にあたる。 1573年父の跡を継ぎ男爵を授爵,85~1619年海軍卿。 1586年メアリー・スチュアート裁判委員。 88年スペイン無敵艦隊撃滅の最高指揮官。 96年2代エセックス (伯)とともにカディスに遠征。翌年伯爵。 99年陸海軍最高指揮官。 1601年エセックス伯の反乱を鎮圧しその裁判にあたる。ジェームズ1世治世においてもスペイン駐在大使 (1605) その他の任にあたり,重臣として活躍した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ノッティンガム」の意味・わかりやすい解説

ノッティンガム
Nottingham

イギリス,イングランド中部,ノッティンガムシャー南部にある交通・工業都市で州都。人口27万3900(2003)。アングロ・サクソン時代は〈スノーテンガムSnotengaham〉(〈スノット族の村〉の意)と呼ばれたが,ノルマン人の影響で語頭のSが脱落して現地名になった。ペナイン山脈の南東麓,トレント川中流北岸に位置して水上および鉄道・道路交通の要衝を占め,伝統的なメリヤス,レース,皮革工業が発達する。そのほかヨークシャー炭田に近接するため,薬品,自動車,電子などの近代工業も立地し,ヨークシャー工業地域の一角を占める。古くからトレント川の渡津集落として成立し,付近には洞窟遺跡も見られるが,9世紀にデーン人の〈五都市〉の一つとして要塞化され発展,その後ノルマン人によって新城も建設された。1642年にはチャールズ1世側がこの町で蜂起してピューリタン革命の端緒となったが,のち議会軍に占領された。市内には17世紀再建の城,12世紀のセント・ピーター教会,1881年創立のノッティンガム大学がある。伝承ではロビン・フッドの生地とされる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノッティンガム」の意味・わかりやすい解説

ノッティンガム
のってぃんがむ
Nottingham

イギリス、イングランド中部にあるユニタリー・オーソリティーUnitary Authority(一層制地方自治体)の都市。人口26万6995(2001)。トレント川左岸に位置し、古来、渡河地点として発達した。現在も運河、鉄道、道路が集中する交通の要地。織物業が盛んで、レース製造で世界的に知られるほか、メリヤス、皮革、自転車、家具、たばこ、医薬品などの工業が発達する。6世紀にサクソン人、9世紀にデーン人、11世紀にノルマン人が集落をつくり、城塞(じょうさい)が築かれた。1155年に都市の勅許を得る。1642年チャールズ1世が議会派に対してこの地に挙兵し、ピューリタン革命(イギリス革命)の端緒となった。1679年、水力紡績機の発明者アークライトが動力式の紡績機を初めて当地の工場に設置し、産業革命の発端となったことでも知られる。市の北方に残るシャーウッドの森Sherwood Forestは伝説的英雄ロビン・フッドの活躍舞台。ノッティンガム城は現在博物館・美術館となっている。ノッティンガム大学は1881年の創立。

[久保田武]

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百科事典マイペディア 「ノッティンガム」の意味・わかりやすい解説

ノッティンガム

英国,イングランド中央部,ノッティンガムシャー州の州都。トレント川に沿い,この地方の炭田の中心。紡績工業,レースの生産で知られ,近年は機械,タバコなどの工業も発達。交通の要地で鉄道,運河が集中。ロビン・フッドの伝説で知られ,また1642年チャールズ1世がクロムウェルに抗して軍を起こしたゆかりの地。大学(1948年創立)がある。30万5680人(2011)。
→関連項目トレント[川]

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