現代外国人名録2016 「カールパーマー」の解説
カール パーマー
Carl Palmer
- 職業・肩書
- ロック・ドラマー
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1950年3月20日
- 出生地
- ウェストミッドランズ州バーミンガム
- グループ名
- グループ名=エマーソン・レーク&パーマー〈Emerson Lake&Palmer〉, エイジア〈Asia〉
- 経歴
- 11歳からドラムを始め、学生時代はスティーブ・ウィンウッドらとセッションの仕事を行う。15歳の時に学校を中退し、ザ・キング・ビーズに参加してプロとしてのキャリアを開始。のちザ・サンダーバーズやクレイジー・ワールト・オブ・アーサー・ブラウンなどでの活動を経て、1969年ビンセント・クレインらとアトミック・ルースターを結成し、’70年ファーストアルバム「アトミック・ルースター」でデビュー。のちキース・エマーソン、グレッグ・レークとギターなしのロック・トリオ、エマーソン・レーク&パーマー(EL&P)を結成し、ファーストアルバム「エマーソン・レーク&パーマー」をリリース。以後、ジャズやクラシックの要素を持たせつつハモンドオルガンやシンセサイザーなど最新の機器を導入した革新的なサウンドに人気が集まり、’72年初来日、’73年からは大規模なワールドツアーを始めるなど、ブリティッシュ・ロック・シーンを代表するプログレッシブ・ロック・トリオとなる。同年バンド自身によるレーベル・マンティコアを設立し、’74年にはアルバム「恐怖の頭脳改革」を発表するが、同年から4年間活動を中止。’77年活動を再開したが、バンド内の軋轢のため’78年にグループを解散。’80年自らのバンドであるPMを立ち上げてアルバム「ワン・PM」を発表するが、すぐに解散。’81年元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、イエスのスティーブ・ハウ、バグルスのジェフ・ダウンズといった英国ロック界の大物らとエイジアを結成し、’82年ファーストアルバム「エイジア」が9週連続全米第1位に君臨するなど商業的に大成功を収め、最後のスーパーグループと呼ばれた。’86年の同バンド消滅後は’87年エマーソンの誘いを受けてスリーに参加。’90年エイジアの再編に際して再び参加し、’92年EL&Pを再結成。2006年オリジナルのラインナップによるエイジアの復活にも加わり、全英・全米ツアー及び来日公演を行う。2013年ハウが脱退し、新ギタリストとしてサム・クールソンが加入。空手の達人で日本通としても知られる。エマーソン・レーク&パーマーの他のアルバムに「タルカス」「展覧会の絵」「ブラック・ムーン」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報