日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガールスカウト」の意味・わかりやすい解説
ガールスカウト
がーるすかうと
Girl Scouts
国際的規模でスカウト運動とよばれる団体活動を展開している少女のための教育団体。略称GS。日本の全国組織は1951年(昭和26)に社団法人として認可されたガールスカウト日本連盟(当初はガール・スカウト日本連盟)である。ガールスカウト運動の原点である「やくそく」と「おきて」を定めていて、2000年(平成12)4月からは、前者として「神(仏)に対するつとめ」「地域と国と世界への責任」「人に役立つこと」の3項目、後者として「勇気」「命の尊重」「礼儀」「責任」「誠実」など8項目を掲げている(幼少会員としてのブラウニーでは3項目)。活動内容はボーイスカウト(BS)と共通なものがかなり多く、少女たちが健全なレクリエーションや奉仕、救急、国際理解などの諸活動を通して、よい公民へと育ち、社会文化への寄与能力ももつようになることを目ざしている。世界共通のクローバの記章と各国の特徴を生かす制服を着用して活動する。
創設はBS創設の2年後、1910年で、初代総裁はBS創設者ベーデンパウエルRobert Stephenson Smyth Baden-Powellの妹アグネス・ベーデンパウエルAgnes Baden-Powell。兄によってガールガイドGirl Guideと命名され、イギリスやその関係諸国ではいまもこの名でよぶが、アメリカでは1912年結成当初からガールスカウトと称してきた。日本にイギリスから伝わったのは1919年(大正8)で、翌1920年東京で日本女子補導第一組が結成され、1921年横浜で開催のBSジャンボリーにフォークダンスをもって賛助参加している。同じ1921年、活動は似ているが綱領に日本的愛国心を盛る静岡少女団も結成された。さらに同年、独自の綱領をもってイギリスの本部に連結することになる日本女子補導団が結成されたが、実際には著増をみず、第二次世界大戦中の1942年(昭和17)解散時の団員は300人以下であった。第二次世界大戦後の再建で現行の名称が定着したのはアメリカからの影響によるものである。2009年(平成21)現在、日本の団員は約5万人である。
[藤原英夫・上杉孝實]
『『ガールスカウト半世紀の歩み』(1971・ガール・スカウト日本連盟)』▽『ガールスカウト日本連盟編・刊『世界のガールガイド・ガールスカウト』1~4(1996~98)』