日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラプトン」の意味・わかりやすい解説
クラプトン
くらぷとん
Eric Clapton
(1945― )
イギリスのロック・ギタリスト。イングランド、サリー県のリプリー生まれ。本名はエリック・パトリック・クラップEric Patrick Clapp。キャリアは起伏に富んでおり、1960年代にビート・バンドのヤードバーズに参加したのを皮切りに、ブルース・ロック、ハード・ロック、サイケデリック・ロック、1970年代初頭はアメリカ南部色の濃いロック、1970年代後半からはポップ・ロック、そしてアダルト・コンテンポラリーとスタイルを変化させてきた。1960年代以降のロックン・ロールの歴史を通じてヒーローであり続けたクラプトンは、パンクとテクノとプログレッシブ・ロック以外のさまざまなスタイルで、その才能を証明してきた。
1960年代はアメリカのブルースの熱烈な信奉者であった。ヤードバーズで頭角を現し、1966年、ジョン・メイオールJohn Mayall(1933―2024、ギター、ハーモニカ)のバンド、ブルース・ブレイカーズに参加する。当時、すでに白人のエレクトリック・ブルース・ギター奏者としては並ぶ者のなかったクラプトンは、ファンの間で神と称される存在であった。同年ジャック・ブルースJack Bruce(1943―2014)、ジンジャー・ベーカーGinger Baker(1939―2019)とクリームを結成、即興演奏を軸にしたヘビーなブルース・ロック、サイケデリック・ロックを聴かせる。
その後、ザ・バンドの演奏に触れ感化されたクラプトンは、歌を軸にした音楽に傾倒し、ブルースの故郷アメリカ南部出身のミュージシャンとともに、ギタリストというよりも、むしろシンガー・ソングライターとして音楽づくりに励むようになる。
1969年のクリーム解散後、トラフィックのスティーブ・ウィンウッドSteve Winwood(1948― )らと結成したブラインド・フェイスの曲にも新しいクラプトンの音楽性は表れていた。1970年に『エリック・クラプトン・ソロ』とシンプルなタイトルの初ソロ・アルバムを発表、南部のミュージシャンにサポートされた温かみのある音楽を聴かせた。アルバムからは、「アフター・ミッドナイト」がトップ40入りするヒットを記録した。同年デレク&ドミノス名で発表した『いとしのレイラ』では、クラプトンの最高傑作とされる質の高い曲と演奏を聴かせた。
その後、ドラッグ中毒に陥り活動は低下するが、1974年『461オーシャン・ブールヴァード』で復帰。ボブ・マーリィの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を取り上げ、レゲエ・ミュージックがポピュラー音楽の世界で市民権を得る礎(いしずえ)をつくった。1977年『スローハンド』からは「コカイン」「レイ・ダウン・サリー」のヒットが生まれ、日本武道館(東京)で録音された2枚組ライブ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』(1980)といったヒット・アルバムも発表した。1980年代はAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のジャンルで安定した活動をし、1990年代はアルバム『アンプラグド』(1992)が大ヒット、映画『ラッシュ』(1992)の挿入歌「ティアーズ・イン・ヘブン」などのヒットもそのアルバムから生まれ、長いキャリアのなかでかつてないほど安定した音楽性とセールスを誇る大人のアーティストとしての地位を確立した。
[中山義雄]