マレー半島の中央部にあり、古くから西のアンダマン海と東のタイ湾とを結ぶルートとして利用された。1973年に当時のタイ軍事政権が運河建設計画を発表して以来、さまざまな運河構想が提案された。水爆による掘削案も出て物議を醸したこともある。タイ政府は82年に調査を開始、日本からの資金や技術協力を求めていたが、膨大なコストなどがネックとなり実現しなかった。2000年代に入って再び構想が持ち上がり、中国は関心を寄せている。(北京共同)
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東南アジア、マレー半島北部のタイ南西部とミャンマー(ビルマ)南端とが接する国境付近にある地峡。マレー半島でもっとも幅が狭く、最狭部約40キロメートル。西岸のアンダマン海側のパクチャンから、東岸のタイランド湾側のチュンポンへ向けて低地および河川があり、分水嶺(ぶんすいれい)もそれほど高くない。この立地条件から、マラッカ海峡を迂回(うかい)する航路を短縮するための運河を建設する候補地となっている。
[大矢雅彦]
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