ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレオパトラ7世」の意味・わかりやすい解説
クレオパトラ7世
クレオパトラななせい
Kleopatra VII; Cleopatra VII
[没]前30. アレクサンドリア
エジプト,プトレマイオス朝最後の女王。在位前 51~30年。プトレマイオス 12世アウレテスの子。前 51年父より王位を継ぎ,弟のプトレマイオス 13世,同 14世と次々に結婚,息子カイサリオン (→プトレマイオス 15世カエサル ) と3代にわたり共同統治者となった。ギリシア=マケドニア系で,イラン人の血をひく彼女は,高度の教育を受け,エジプト語をはじめ数ヵ国語を解し,才色兼備で,精力的であり,エジプト支配とローマの中央権力に加わり,これを共有することを目指した。前 48年カエサルがアレクサンドリアに来たとき,カエサルの力をかりて弟王プトレマイオス 13世を滅ぼして権力を得,前 46年カエサルを追ってローマにおもむき,おそらくカエサルの子と思われるカイサリオンを産んだ。前 44年カエサルが暗殺されたので,エジプトに帰国。前 41年 M.アントニウスの命でキリキアのタルソスにおもむき,そこでアントニウスの心をとらえた。アントニウスの子であろう男女の双生児を産み,前 33年にはアントニウスと正式に結婚。アントニウスは彼女にフェニキア,ユダヤ,クレタなどローマ領を贈り,前 34年には東方帝国の宣言をし,彼女を「諸王の女王」とした。その間ローマではオクタウィアヌス (アウグスツス) が元老院でアントニウスを弾劾し,クレオパトラに対し宣戦を布告。前 31年アクチウムの海戦に敗れ,翌年オクタウィアヌスにアレクサンドリアを占領され,アントニウスは自殺,数日後,クレオパトラも自殺した。カイサリオンも殺され,ここにプトレマイオス朝約 300年間の支配は終った。後世彼女の数奇な運命を題材にして,シェークスピア,バーナード・ショーの文学作品が作られ,パスカルの警句にも登場している。
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