ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クワシニエフスキ」の意味・わかりやすい解説
クワシニエフスキ
Kwaśniewski, Aleksander
ポーランドの政治家。大統領(在任 1995~2005)。グダニスク大学で経済学を学んだのち,1977年共産主義政権与党のポーランド統一労働者党に入党。1985~87年青年問題担当大臣,1987~90年青年体育委員長を務めた。しかし統一労働者党はレフ・ワレサ率いる自主管理労働組合「連帯」などと対立し,社会不安が高まった。そのため 1989年,与野党対話の場として円卓会議が開かれ,クワシニエフスキは閣僚として参加した。これにより共産主義体制は終わりを迎え,ワレサは 1990年に非共産主義政権の初代大統領に就任した。1991年に民主左翼連合 SLDの創設に参加。1993年の選挙で SLDは議会下院(セイム)の第一党に躍進し,同じく旧統一労働者党勢力のポーランド農民党 PSLと組んで連立政権を樹立した。1995年11月の大統領選挙に立候補し,ワレサに僅差で勝利した。2000年に再選。ワレサ政権の市場改革を継承し,1997年新憲法の承認にこぎつけた。ポーランドは 1999年北大西洋条約機構 NATO,2004年ヨーロッパ連合 EUに加盟。また,1941年にポーランド人がユダヤ人を虐殺したイエドワブネ事件について公式謝罪し,1968年に共産主義政権が剥奪した多数のユダヤ人の市民権を回復した。共産制下で不動産を国有化するために没収された個人に補償をする法案には拒否権を発動した。2005年に退任。
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