ポーランド農民党(読み)ポーランドのうみんとう(英語表記)Polskie Stronnictwo Ludowe

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーランド農民党」の意味・わかりやすい解説

ポーランド農民党
ポーランドのうみんとう
Polskie Stronnictwo Ludowe

略称 PSLポーランド政党。世界で最も古い伝統をもつ農民政党の1つ。本来いくつかの政治組織が合流してできたもので,名称も何度か変っている。ポーランドにおける農民の政治運動は農村の貧困と政治的自由が著しい対照をなしていたオーストリア領で最も早く形成され,早くも 1895年に農民党 SLが成立,1903年にポーランド農民党 PSLと改称した。当初はウィーン議会への選挙のための集票組織という性格が強く,経済的後進性の批判と政治制度の民主化要求のほか特に明確な綱領をもたなかったが,03年以降普通選挙,普通教育,農民補助,ガリチア自治を要求し,カトリック教会,地主保守派を批判するにいたり,07年の選挙で大勝。しかし 11~13年に内紛が激化し,分裂。 W.ウィトス,J.ドンプスキら穏健派は,14年 PSLピアスト派と名のり,独立後全国政党として発展,穏健な農地改革を掲げて 18~26年の歴代政府に代表を送り,3度首班を担当した。一方,J.スタピンスキら左派は,15年 PSL解放派を結成し,独立闘争,特に J.ピウスツキの活動を支持し,急進的な農地改革の要求を掲げ,独立後ポーランド社会党とともに議会内左派を形成した。 1920年代に農民諸党は離合集散を繰返したが,31年農民党 SLを結成,最大野党となり,35年土地の無償分配,大企業の社会化,商業の共同組合化などを含む急進的な綱領を採択した。第2次世界大戦中ロンドン亡命政府に代表を送り,抵抗運動に参加。戦後元亡命政府首相 S.ミコワイチクに率いられる PSLと容共派の SLに分裂。 PSLは一時多くの支持者を集めたが,親共政権の弾圧を受けて弱体化し,49年 SLに吸収されて統一農民党 ZSLとなり,以後事実上ポーランド統一労働者党の補助機関の役割を果してきた。しかし 89年 12月,統一労働者党の指導的役割を規定した憲法条文の削除を国会で可決したことを受けて始った本格的複数政党制のもと,党名を旧称の農民党に復した。 91年選挙では農民連合の核として戦い 48議席を獲得。 93年選挙では単独で 132議席へと飛躍し,民主左翼同盟と連立内閣を組み,PSL党首のワルデマル・パブラクを首班とする内閣を組織した。しかし 97年9月総選挙では 27議席と 100議席以上を失う惨敗となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android