クーリッジ(読み)くーりっじ(英語表記)Susan Coolidge

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クーリッジ」の意味・わかりやすい解説

クーリッジ(William David Coolidge)
くーりっじ
William David Coolidge
(1873―1975)

アメリカの物理化学者。1896年マサチューセッツ工科大学を卒業、ドイツ留学(ライプツィヒ大学)後、母校で教鞭(きょうべん)をとる。1905年ゼネラル・エレクトリック社研究所研究員となり、また所長(1932~1944)として活躍した。1908年、もろいタングステン電気炉を使って溶融し、ダイヤモンド小孔から引き出す技術を開発し、じょうぶなタングステンフィラメント製作に成功、電球、電子管実用化の基礎をつくり、1913年にそれを用いたX線管いわゆるクーリッジ管を発明した。

[兵藤友博]


クーリッジ(John Calvin Coolidge)
くーりっじ
John Calvin Coolidge
(1872―1933)

アメリカ合衆国第30代大統領(在任1923~29)。1872年7月4日、バーモント州に生まれ、アマースト大学を卒業。弁護士を経て政界に入り、マサチューセッツ州上院議員、同州知事を歴任し、1920年の選挙共和党副大統領に当選、23年ハーディング大統領の死により大統領に就任し、翌年再選された。保守的で、実業界中心の立場にたち、政策面でとくに重要な業績はなかったが、アメリカ経済が未曽有(みぞう)の繁栄謳歌(おうか)していたため、繁栄の大統領として国民の間で人気があった。指導性に欠けていたが、ケロッグ国務長官やフーバー商務長官らの有能な閣僚を擁し、またハーディング政権期(1921~23)とは対照的に清潔な政治に努めた。

[新川健三郎]



クーリッジ(Susan Coolidge)
くーりっじ
Susan Coolidge
(1835―1905)

アメリカの女流児童文学作家。オハイオ州クリーブランド生まれ。オルコット家庭小説の流れをくむ人で、『ケティが何をしたか』(1872)、『学校のケティ』(1873)、『続ケティが何をしたか』(1886)、『クローバー』(1888)などの作品を生み出した。カー家の長女ケティは、『若草物語』のジョーに似たおてんば少女で、その成長の物語は数多くの少女に愛され、わが国では戦前から『ケティ物語』として親しまれてきた。

[八木田宜子]

『岡本浜江訳『ケティ物語』(1983・小学館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クーリッジ」の意味・わかりやすい解説

クーリッジ
Coolidge, William Augustus Brevoort

[生]1850.8.28. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1926.5.8. スイス,グリンデルワルト
アメリカ合衆国生まれのイギリスの歴史家,登山家。約 1750回の登山を通じ,スイス,フランス,イタリアのアルプスについて,初期の体系的な調査を行なった。オックスフォード大学を卒業後,同大学で数年教職につき,1883年にイギリス国教会の司祭に叙任された。少年時代におばにアルプスを教えられ,登山とアルプスの研究がおもな関心事になった。1885年からスイスに在住。主要な登山は 1865年から 1898年の間に行なわれ,1874年には最初のユングフラウ(4158m)冬季登山を成し遂げた。歴史家としては,綿密な研究と編纂で知られる。おもな著書に "Guide to Switzerland"(1901),"The Alps in Nature and History"(1908)など。

クーリッジ
Coolidge, (John) Calvin

[生]1872.7.4. バーモント,プリマス
[没]1933.1.5. マサチューセッツ,ノーサンプトン
アメリカの政治家。第 30代大統領 (在任 1923~29) 。アマースト大学卒業。共和党に属し,1918年マサチューセッツ州知事。 20年 11月 W.ハーディング大統領のもとで副大統領,23年8月ハーディングが没すると大統領に昇格,24年大統領に選出された。大統領在任中は人目をひく政治指導力はみられなかったが,経済の安定を維持し,産業界と企業経営に対する政府の干渉を極力押える政策が特徴的で,税率引下げにより資本蓄積を有利にし高率の保護関税を維持した。外交政策は国際協調を基本とし,28年パリ不戦条約の締結に寄与した。

クーリッジ
Coolidge, William David

[生]1873.10.23. ハドソン
[没]1975.2.3. ニューヨーク,スケネクタディ
アメリカの物理学者。マサチューセッツ工科大学を卒業,同大学助教授を経て,ゼネラル・エレクトリック社に入り (1905) ,同社研究所所長 (32~44) 。 1908年電球用のタングステン・フィラメントの製造法を開発,16年タングステンを陰極に用いたX線管 (クーリッジ管) をつくり,X線利用を促進した。第2次世界大戦中はレーダやロケットの研究にも関与し,またマンハッタン計画にも加わった。

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