ジュネーヴ軍縮会議(英語表記)Geneva Disarmament Conference

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジュネーヴ軍縮会議」の解説

ジュネーヴ軍縮会議(ジュネーヴぐんしゅくかいぎ)
Geneva Disarmament Conference

1932年2月2日から国際連盟主催のもとに世界60数カ国が参加して開かれた軍備縮小制限のための国際会議。26年から開かれた連盟軍縮準備委員会が作成した一般的軍縮条約案を討議することになった。しかし,フランス安全保障要求と,ヴェルサイユ条約に規定されている一般的軍縮を諸国が行わないならば,再軍備を許されるべきだというドイツの要求との対立により,原則的にドイツの要求を入れるという決定以外に具体的な成果はなかった。33年2月会議は再開されたが,同年10月ナチス・ドイツは会議および国際連盟から脱退し,会議は失敗に終わった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジュネーヴ軍縮会議」の解説

ジュネーヴ軍縮会議
ジュネーヴぐんしゅくかいぎ
Geneva Disarmament Conference

①1927年6〜8月に,アメリカ第30代大統領クーリッジの提案でアメリカ・イギリス・日本が参加して補助艦の保有制限を討議した会議
②1932年2月〜34年5月,国際連盟主催の下に61か国が参加した会議
当初,クーリッジは日・英・仏・伊を招請したが,フランス・イタリアは参加せず,また英・米・日の利害不一致から失敗した。話し合いは1930年のロンドン会議にもちこされた。
ドイツが軍備平等権を,フランスが安全保障制度の確立を主張して難航し,日本・ドイツが連盟を脱退したため会議は中断された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ジュネーヴ軍縮会議」の解説

ジュネーヴ軍縮会議
ジュネーヴぐんしゅくかいぎ

①1927年6月,アメリカ大統領クーリッジの提唱によってジュネーヴで開かれた軍縮会議
②1932年2月,国際連盟主催のもと,61カ国が参加して開かれた軍縮会議(〜'34.5)
日本から斎藤実 (まこと) ・石井菊次郎が参加。ワシントン会議でのぞかれた補助艦艇の保有制限を討議したが,フランス・イタリアの不参加やイギリス・アメリカの対立で失敗に終わった。
ドイツが軍備平等権を,フランスが安全保障制度の確立を主張し難航。ドイツの連盟脱退により中断された。

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