クールトア(読み)くーるとあ(その他表記)Bernard Courtois

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クールトア」の意味・わかりやすい解説

クールトア
くーるとあ
Bernard Courtois
(1777―1838)

フランスの化学工業家。エコール・ポリテクニク(理工科大学校)で学び、化学の助手を短期間つとめたのち、父親の硝石工場を引き継ぐため、故郷のディジョンに戻った。1811年末、海藻の灰からカリウム塩やナトリウム塩を得るため、浸出した液にたまたま過度の硫酸を加えたところ、紫色蒸気が発生し、それが凝縮して黒っぽい結晶になるのを観察した。その後何か月かこの新物質(ヨウ素)の研究に打ち込み、水素やリン、その他の金属との化合物を得たが、経済的理由から研究を中止し、その続行を2人の同郷の化学者デゾルムCharles Bernard Desormes(1777―1862)とクレマンNicolas Clément(1779―1842)に頼んだ。フランス学士院への新元素発見の報告はこの2人が1813年11月に行った。しかし、この新元素に、ギリシア語で「紫」を意味する「ヨード」の名をつけたのはゲイ・リュサックである。クールトアはこの発見によりフランス学士院から褒賞金を得たが、ヨウ素およびヨウ素化合物製造販売工場の試みは失敗に終わった。

吉田 晃]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クールトア」の意味・わかりやすい解説

クールトア
Courtois, Bernard

[生]1777.2.8. ディジョン
[没]1838.9.27. パリ
フランスの化学者。火薬をつくるのに必要な硝酸カリウム製造業をしていた父の工場でその手伝いをし,かたわら薬種商で働き,のちパリのエコール・ポリテクニクに入学,A.フールクロアの教えを受け,アヘンの研究をしてモルヒネを発見。 1811年,硝酸カリウム製造の原料である炭酸カリウムを海藻を燃やして採取しているうち,紫色の蒸気となり凝結すると黒い光沢ある結晶になる物質を発見した。自分の化学知識の不足を意識していた彼は,友人 N.クレマン=デゾルムにその研究を委託し,クレマン=デゾルムは塩素に類似した新物質として公表 (1813) 。この物質は H.デービーと J.ゲイ=リュサックにより新元素であることが認められ (14) ,ギリシア語で紫色を意味する ioeidēsにちなんで「ヨウ素」 iodineと命名された。ナポレオン戦争の終結後,硝石製造業が不振となり,ヨウ素製造業に転進したが,これも失敗し,晩年は不遇であった。

クールトア
Courtois, Jacques

[生]1621.2.12. サンイポリット
[没]1676.11.14. ローマ
フランスの画家。父ジャンから絵を学ぶ。 1635年頃3年間スペイン陸軍に服務。 40年以後ローマに定住してジャコモ・コルテーゼと名のり,ローマ・バロックの画家たちの影響を受けて戦闘図を好んで描いた。その迫真的表現は G.ベルニーニ称賛を受けた。代表作『戦闘』 (ピッティ美術館) 。

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