日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピッティ美術館」の意味・わかりやすい解説
ピッティ美術館
ぴってぃびじゅつかん
Galleria Palatina, Palazzo Pitti
フィレンツェのアルノ川の南側にあり、15世紀から18世紀のイタリア絵画を収蔵する、この分野では同地のウフィツィ美術館に並んで重要な美術館。メディチ家、サボイア王家などの住居として使われてきたパラッツォ・ピッティが、1919年ビットリオ・エマヌエレ3世からイタリア国家に寄贈されたもので、二階のパラティーナ絵画館、一階の16、17世紀の工芸品を展示する工芸美術館、三階の19世紀以降の絵画・彫刻を展示する近代美術館を擁している。設計はアルベルティによるといわれ、着手は1470年ころであったが、依頼主の政商ルカ・ピッティの失脚により、工事はまもなく中断された。のち1549年にトスカナ公コジモ・デ・メディチの妃の所有となり、以来改装拡張工事が続けられて、1839年に北の翼廊が完成して今日みられる形態となった。粗い切石(きりいし)を積んだいわゆるルスティカ式宮殿の代表作に数えられており、背後にはルネサンス式のボボリ庭園が付属している。所蔵品の大部分はメディチ家が所有していたもので、『大公の聖母』『椅子(いす)の聖母』『マッダレーナ・ドーニの肖像』を含む11点のラファエッロ、『アルビエの聖母』『洗礼者ヨハネ』など16点のアンドレア・デル・サルト、14点のティツィアーノ、8点のティントレットなど、およそ500点の作品が往時のギャラリーさながらに壁面全体を埋め尽くしている。
[湊 典子]