ケファリニア島(読み)ケファリニアトウ(その他表記)Kefallinía

デジタル大辞泉 「ケファリニア島」の意味・読み・例文・類語

ケファリニア‐とう〔‐タウ〕【ケファリニア島】

KephallēniaΚεφαλληνίαケファロニア島古代名。

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改訂新版 世界大百科事典 「ケファリニア島」の意味・わかりやすい解説

ケファリニア[島]
Kefallinía

ギリシア西部,コリントス湾の入口に位置するイオニア諸島中最大の島。面積約780km2,人口約4万(2001)。英語名はセファロニアCephalonia。複雑な海岸線をもつ島で,ほとんどがけわしい山地(最高は標高1628m)だが,上質のブドウ酒,乾ブドウオリーブ油などを産する。古代から人が住み,プラタイアイの戦にはこの島から200人が参戦している。ペロポネソス戦争に際してはアテナイ側についた。中世以降はトルコベネチア,フランス等の手を転々とした。第2次大戦中には,7日にわたってイタリア軍に抵抗してついに降服し,3000の島民が虐殺された。1953年の地震に際して島は壊滅的な損害をこうむった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケファリニア島」の意味・わかりやすい解説

ケファリニア島
けふぁりにあとう
Kephallinía

ギリシア西部、イオニア諸島最大の島。ケファロニアKephalloníaともいう。面積781平方キロメートル。東側に隣接するイサキ島といくつかの小島をあわせてケファリニア県を構成する。県の人口は、4万0200(2003推計)。県都はアルゴストリオンArgostólion。おもに石灰岩質の丘陵山岳からなり、最高峰はエノス(古代のアイノス)山で標高1628メートル。海岸線は複雑である。南東部には肥沃(ひよく)な平野が開け、ブドウ、オリーブ、小麦を産する。また商業、海運業が盛んである。古代にはミケーネ文化の一中心地で、マザカルタとダカタに当時の墳墓が残っている。ペロポネソス戦争ではアテネ側につき、のちにアイトリア同盟の一員となった。ローマ征服(前189)以後、断続的ながら長くベネチアの影響下にあった。1798年よりフランス支配、1809年よりイギリス支配を経て、1864年からギリシア領。

[真下とも子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケファリニア島」の意味・わかりやすい解説

ケファリニア島
ケファリニアとう
Nísos Kefallinía

ケファロニア Kefaloniáともいう。古代ギリシア語読みではケファレニア Kephallēnia。ギリシア西部,イオニア諸島の最大の島。パトライコス湾の湾口沖にある山がちな島で,最高点 1628m。西部に南から深い入江が湾入,その東岸に中心都市アルゴストリオンがある。ミケーネ文化の重要な中心地で,ホメロスの『オデュッセイア』にもその名が現れる。ローマ,ノルマン,ナポリ,ベネチア,オスマン帝国,フランス,イギリスなどに次々と支配されたのち,1864年ギリシア領。 1953年地震により大きな損害を受けた。主産業はオリーブ,ブドウ,穀物ワタなどの栽培,レース,絨毯などの製造,造船である。面積 781km2。人口2万 7649 (1981) 。

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世界大百科事典(旧版)内のケファリニア島の言及

【イオニア[諸島]】より

…総面積2307km2,人口19万1000(1991)。北からケルキラ(一般にコルフの名で知られる),パクシ,レフカス,イターキ(古代名イタケー),ケファリニアザキントス(別名ザンテ),ずっと南に離れてキティラ。どの島も山が多いが,気候は温暖である。…

※「ケファリニア島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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