アイトリア同盟(読み)あいとりあどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイトリア同盟」の意味・わかりやすい解説

アイトリア同盟
あいとりあどうめい

古代ギリシアアイトリアAitōlia人の同盟。アイトリア人の居住したアイトリアは、コリント湾の北、中部ギリシア西側の山がちの地域。彼らの緩い部族連合的組織から、紀元前367年の少し前に、諸ポリス部族国家の連合体としてのアイトリア同盟が成立した。同盟の長は毎年1人選ばれる将軍で、同盟総会、同盟評議会、代表評議員会などの会議があり、加盟ポリス、部族国家の成員は、各自が所属するポリス、部族国家の市民権と同盟の市民権を二重に所有した。前4世紀末に同盟の勢力はテルモピレーに及び、前3世紀初めにはデルフォイの支配権を得た。同世紀末にマケドニア王国侵入されてから衰退が始まり、前192年それまでのローマとの同盟を捨ててシリア王国と結んだため、ローマの攻撃を受け、敗れて前189年ローマに従属する条約を結んだ。前146年以降ローマの属州に組み込まれて、その生命を終えた。

[清永昭次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイトリア同盟」の意味・わかりやすい解説

アイトリア同盟
アイトリアどうめい
Aetolian League

前 367年頃西部ギリシア,アイトリア地方に形成され,前 340年頃までにギリシアの一大勢力となった都市同盟。同盟市民権,同盟総会,比例代表制の評議会など民主的な連邦組織を構成した。前 322年と前 314~311年マケドニアの侵入を撃退し,中部ギリシアに進出した。ローマとは初め協調したが,のちに離反したため,前 189年ローマに抑圧され重要性を失った。

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