カーペットcarpet,ラッグrugとも呼ばれるが,これらは広く敷物に使われる織物一般をさし,絨毯はとくにパイルpile(添毛)組織による敷物をいう(輪奈(わな)織)。絨緞とも書く。19世紀以降先進諸国では機械製が主流となったが,それ以前,および現在でも,西アジア,中央アジア,中国などでは膨大な時間を要する手結びの絨毯が織り続けられてきた。地の平組織を作る経糸(たていと)とよこ糸(緯糸(ぬきいと))のほかに,経糸に一目一目色糸(パイル糸)を結びその先を切ってけば状に立毛し,文様を織り出すもので,糸の材料,結び方,織機,文様など,産地ごとに特色が見られる。絨毯の発生は羊毛資源に恵まれた乾燥地帯の遊牧系民族によるものとされ,今でも西アジアを中心とする地域が手結びの絨毯の主要産地で,とくにペルシア(イラン)絨毯は名高い。絨毯は,床の敷物ばかりでなく,壁掛け,鞍の敷物,荷袋などにも使われる。材料には羊毛,綿,絹がある。大部分のパイル糸に羊毛が用いられているが,ペルシア絨毯の高級品のようにすべての材料が絹のもの,日本の鍋島緞通(だんつう)や赤穂緞通のようにすべて綿製のものもある。経糸やよこ糸には羊毛のほか,細く堅牢な綿もよく使われ,高級品には絹も用いる。
絨毯の織機は,経糸を垂直に張る竪機(たてばた)(高機)と経糸を地面すれすれに水平に張る水平機(地機)とに大別される。竪機は都市や農村の定住生活,水平機は遊牧民の移動生活で主として使われている。竪機は柱が重く一度設置したら動かしにくいが,長い横木を使えば幅の広い大型の絨毯を織ることができる。水平機は地面の上に置かれた2本の横木に経糸を張るが,移動生活に適するように軽く,組立て解体が簡単である。絨毯の幅も比較的せまいものが多い。絨毯を織るとき用いる道具には,経糸に結んだパイル糸を切るナイフ,よこ糸とパイル糸を打ち込んで締めるくし,パイル糸の先を切りそろえるはさみなどがある。
パイル糸の代表的な結び方としてペルシア結び(セーナ結びSehna knot)とトルコ結び(ギョルデス結びGhiordes knot)があげられる。ペルシア結びは主としてイラン内のイラン系の人々およびイラン以東で使われ,トルコ結びはトルコ,カフカス(コーカサス)地方のほかに,イランではタブリーズ,ハマダーンやトルコ系遊牧民の住む地域で使われている。ペルシア結びのほうがより緻密で滑らかな織り上がりとなる。普通,結びは経糸2本に対して一つ作るが,近年経糸4本に対して一つ作るジューフト結びjuft knotがしだいに増えている。
絨毯は長方形に織られ,文様は長方形の中央部分と周辺の縁飾り部分によって構成される。中央部分の文様は,メダイヨン文様,動物文様,狩猟文様,花文様,花瓶文様,庭園文様,ミフラーブ文様(イスラム教徒が礼拝を行う場合に床や地面に敷くもので,サッジャーダsajjādaとよばれる),幾何学文様,ミニアチュール文様など多岐にわたる。オリエントの絨毯では生命の樹(聖樹),狩猟文様,動物闘争文様など古来の伝統文様をとりいれたものが多く,これにイスラム独特のアラベスク文様を加えたものや,花咲き緑豊かな楽園のイメージを伝えるものが多い。一方中国では鳳凰や竜,雲文などの伝統文様が表される。
絨毯の最古の遺品としては,ロシアのアルタイ山脈のパジリク古墳群から1.8m×2.0mの絨毯が出土している。中央部の格子枠の中に開花文を配し,五重の縁飾り文にはトナカイ,騎馬人物などを表している。アケメネス朝の様式をもつ文様で,前500-前400年ころのものと推定されている。紀元前後ころのものとしては中央アジア(楼蘭)やメソポタミア(アル・タール)などから出土しているが,いずれも単純な幾何学文様の断片である。その後はイスラム時代になるまで遺品例もなく,その間の展開は不明である。アナトリア高原(トルコ)のコニヤのアラエッディン・ジャーミー(モスク)から13世紀のものが発見されており,14~16世紀にかけてのイタリア,ドイツ,フランドルの絵画にはアナトリア各地の絨毯が詳細に描きこまれている(H. ホルバインなど)。当時の絨毯の製作の中心はアナトリア地方であったらしい。アナトリアの絨毯の特色は幾何学的な文様構成,角ばった形と単純な明快な対比の配色などである。
絨毯芸術の頂点は,近世イラン文化の黄金期であるサファビー朝(1501-1736)期である。とくにタフマースブ1世(在位1524-76)とアッバース1世(在位1588-1629)の治世下では,イラン各地に王立工房が設けられ最も興隆した。18世紀のイランは動乱の時期で絨毯の生産も衰退するが,19世紀になると西欧での需要が高まり徐々に復活し,現在でも世界的名声を保っている。多色を用いて優美な曲線で表した花文様を特色とする。主要産地としてタブリーズ,ハマダーン,マシュハド,ケルマーン,イスファハーン,カーシャーン,コムなどがあげられるが,その生産はイラン全域にわたり各地にそれぞれ特色ある絨毯を生みだしている。
カフカスの絨毯(コーカサス・ラッグ)は幾何学的な直線文様で知られ,人物,動物文様も直線的に表される。
中国の絨毯は毯子(タンズ)といい,これを日本では緞通(だんつう)(狭義には方形短尺に織ったもの)といっている。古くは楼蘭からの出土品(漢代)が残されている。中国本土で生産が拡大されたのはモンゴル族の元代である。明・清以後,ヨーロッパ向けの輸出も開始され,清の康熙・乾隆時代には飛躍的に発展をとげた。現存する緞通の多くは明・清以降のものである。今日の主産地は天津,北京,新疆地区である。パステル調の配色やぼかし,輪郭線にそって外側を刈り込み,文様を浮き上がらせるカービング手法などが特徴。
西欧で最も早く絨毯を製作し始めたのは,イスラム支配下のスペインで,この地で作られる絨毯の結びは経糸1本おきに1本に結ばれた。一方商都ベネチアを通じてトルコ産の絨毯が多数輸入された。フランスでは,17世紀初めパリに絨毯工房(のち王立。〈サボンヌリーSavonnerie〉と呼ばれる)が創設され,典雅な宮廷様式の絨毯を製作し,ヨーロッパ各地に輸出された。イギリスでは17世紀後半にフランスから技術が伝わり本格的製作が始まるが,産業革命の波によって手結びの絨毯は衰退し,ジャカード機械織絨毯が主流となり,ウィルトンWilton,キッダーミンスターKidderminster,アクスミンスターAxminsterなどが中心となった。
執筆者:道明 三保子
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イスラム美術は,西アジア,北アフリカをおもな舞台として広くイスラム世界で,7世紀から,その独自性が失われていく18世紀ころまでの約1200年間につくられた建築,絵画,工芸を指していう。しかし,その内容が聖俗両面にわたっているため,たとえイスラムの発展と歩みを共にしたとはいえ,キリスト教美術や仏教美術などと同列に置いて考えることはできない。 イスラム美術は,ササン朝ペルシア(ササン朝美術),古代地中海世界などの美術を母胎として出発し,征服地の土着的伝統を吸収しながら,独自の様式を確立した。…
…メーン・テーブルを壁炉の前に設け,主客が食卓に向かってきちんと腰をかける風習は,中世になってからのことである。 床に色の美しい絨毯(じゆうたん)を敷いて室内の気分を魅力的にすることは,アラビア人の遊牧生活からはじまったのではないかと思われる。絨毯工芸を発達させ,その使用を日常生活の必需品としたのはイスラム教徒であった。…
※「絨毯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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