コルチャーク
Aleksandr Vasil'evich Kolchak
生没年:1873-1920
帝政ロシアの提督。日露戦争に従軍,戦後の海軍再建に奔走した。二月革命時に黒海艦隊司令官であったが,革命で高揚した水兵の要求で1917年6月に辞任に追い込まれた。臨時政府によりアメリカに派遣されたのち,帰途,横浜で十月革命の報に接した。対ドイツ講和を結んだレーニン政権に対抗すべく,連合国とくにイギリスの後援をえてシベリアに乗り込み,18年11月に〈全ロシア政府〉陸海軍相,次いで同月のオムスクにおけるクーデタにより〈最高執政官〉に就任して軍事独裁体制をウラル以東のほぼ全域に樹立した。しかし軍事的敗北にともない,翌年末までにこの体制は崩壊した。イルクーツクで革命委員会の裁判をうけ,銃殺された。
執筆者:原 暉之
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「コルチャーク」の意味・わかりやすい解説
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コルチャーク
こるちゃーく
Александр Васильевич Колчак/Aleksandr Vasil'evich Kolchak
(1873―1920)
ロシアの海軍大将。内戦期の反革命政府の指導者。海軍兵学校卒業後、日露戦争に従軍、水雷艇長。第一次世界大戦ではおもに機雷作戦を指導。1916年夏から黒海艦隊司令長官となったが、二月革命(1917)後は水兵と対立して辞職、アメリカへ派遣された。十月革命後、極東、シベリアに帰り、イギリスの支持の下に活動。18年11月4日、オムスクで成立したシベリア政府の陸海軍大臣になったが、同月18日クーデターで軍事政権を樹立、「ロシア国家最高執政官」と称した。19年3月にモスクワを目ざす大攻勢に出たが、赤軍の反撃にあって敗れ、イルクーツクで銃殺された。
[藤本和貴夫]
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コルチャーク
Aleksandr Vasil'evich Kolchak
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世界大百科事典(旧版)内のコルチャークの言及
【ロシア革命】より
…しかし,これは短命に終わった。11月17日陸海軍相[コルチャーク]はクーデタをおこし,最高執政官に就任した。こうして反革命の主役は帝政派の軍人となった。…
※「コルチャーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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