旅順(読み)りょじゅん

百科事典マイペディアの解説

旅順【りょじゅん】

中国,遼寧省遼東半島の南西端にある大連市の一地区。1950年から1981年まで大連とともに旅大と称した。東の黄金山と西の老虎尾半島の間に,幅270mの水道があり,要害となる。湾内に東西両港があり,東港は旧市街をなし,軍港。西港は新市街をなし,商港。旧名は獅子口。唐代以来海上交通の要地で,清末には北洋艦隊の軍港となった。1860年英仏連合軍が占領,日清戦争では日本が占領。三国干渉ののちロシアが租借したが,日露戦争後,1945年まで日本が租借。のち一時ソ連が占領管理。1955年ソ連軍は撤退,中国海軍の軍港となる。保養地でもある。
→関連項目関東州関東庁ムラビヨフ

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世界大百科事典 第2版の解説

りょじゅん【旅順 Lǚ shùn】

中国,東北地区,遼寧省,大連市の一地区。1981年2月旅大市が大連市と改称されるまでは旅大市に統轄されていた。遼東半島の最南端。古来山東の人が廟島群島を経て遼東に至る旅程の順路にあたったので,この名がつけられたという。黄金山と老虎尾半島に抱かれた,水深が深くふところの広い湾を前にし,清の光緒6年(1880)要塞がつくられ,北洋艦隊の軍港となった。1897年ロシアに占領され,その根拠地となり,日露戦争でははげしい攻防が行われた。

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大辞林 第三版の解説

りょじゅん【旅順】

中国、遼寧省大連市の一地区。遼東半島南端にあり、黄海に臨む港湾地区。海軍基地。清代は北洋艦隊の軍港。日露戦争後、日本が租借し中国進出の拠点とした。リューシュン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

旅順
りょじゅん / リュイシュン

中国、遼寧(りょうねい)省の遼寧半島南端にある大連市西部の区。黄海に臨む軍港で鉄道で大連と結ばれている。
 英語ではポート・アーサーPort Arthurとよばれる。山東半島と東北との海上交通の要衝にあたり古くから開けていた。1878年、北洋海軍の根拠地になり、98年、ロシアに租借され堅固な要塞(ようさい)が築かれた。日露戦争では激烈な戦闘ののち、日本軍が占領。1905年(明治38)より第二次世界大戦終結まで関東州の一部として日本の支配下にあった。戦後しばらく旧ソ連軍が管理したが、55年5月、完全に中国に返還された。[倉橋正直]

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世界大百科事典内の旅順の言及

【租借地】より

…ドイツは1897年(光緒23)11月にドイツ人宣教師殺害事件を口実に青島を武力占領し,翌98年3月の条約で膠州湾を99ヵ年の期限つきで租借した。これに刺激されて同じ年にロシアは旅順,大連(各25ヵ年),三国干渉に加わらなかったイギリスもロシアとの勢力均衡を理由に威海衛(期限はロシアが旅順,大連を租借している間)と九竜半島(99ヵ年),翌年フランスは広州湾(99ヵ年)をおのおの租借したのである。イタリアも三門湾の租借を要求したが成功しなかった。…

【大連】より

…19世紀半ば列強の中国侵略の進む中で注目され,日清戦争の際には日本軍が占領した。三国干渉のあと,1898年(光緒24)ロシア帝国は清朝から大連と旅順を租借し,大連を自由貿易港,旅順を軍港とした。このときニコライ皇帝の勅命によりダルニーDal’niiと命名された。…

※「旅順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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