日本大百科全書(ニッポニカ) 「コレッリ」の意味・わかりやすい解説
コレッリ(Franco Corelli)
これっり
Franco Corelli
(1921―2003)
イタリアのテノール歌手。アンコーナ生まれ。1951年スポレートで『カルメン』のドン・ホセを歌いデビュー。54年ミラノ・スカラ座に初登場、以後65年まで同歌劇場に所属。その間、世界の主要歌劇場に客演、マリア・カラスともしばしば共演した。ベッリーニ、ドニゼッティ、ベルディ、プッチーニのオペラを得意とし、強靭(きょうじん)で輝かしい声質と叙情的歌唱、劇的表現、美しい容姿で人気を博した。高音を引き伸ばしたり、リズムを声にあわせて変更するなど、その独自の歌い方は「コレッリ・スタイル」とよばれたこともあった。71年(昭和46)初来日。
[美山良夫]
『ピエール・マリア・パオレッティ著、南条年章訳『スカラ座の人』(1988・音楽之友社)』▽『本間公著『この声が魅了する――続・思いっきりオペラ』(1994・宝島社)』▽『ヘレナ・マテオプーロス著、岡田好恵訳『偉大なるテノールたち――カルーソーから現代まで』(2002・アルファベータ)』
コレッリ(Arcangelo Corelli)
これっり
Arcangelo Corelli
(1653―1713)
17、18世紀イタリアを代表する作曲家、バイオリン奏者で、合奏協奏曲様式を確立した。2月17日ラベンナ近郊のフジニャーノに生まれる。ファエンツァ近郊の町の聖職者のもとで最初の音楽教育を受けたのち、ルーゴでも学び、1666年から伝統ある音楽都市ボローニャで学んでいる。70年わずか17歳で有名なボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員となり、71年ごろにはローマに出たらしい。75年ローマのサン・ジョバンニ・ディ・フィオレンティーニ教会のバイオリン奏者となった記録がある。70年代の終わりには元スウェーデン女王クリスティーナのローマでの宮廷に属していたらしく、『トリオ・ソナタ集』(作品1、1681)は彼女に捧(ささ)げられている。84~90年パンフィーリ枢機卿(すうききょう)に仕え、コルソ宮殿での日曜音楽会で活躍した。90年、枢機卿のボローニャ転任に伴い、やはり芸術の保護者として有名なオットボーニ枢機卿に仕え、教皇庁での枢機卿主催の月曜音楽会で活躍、名声は全ヨーロッパにとどろいたが、1713年1月8日、惜しくもローマで世を去っている。名作『ラ・フォリア』を含む『バイオリン・ソナタ集』(作品5、1700)は、独奏ソナタの歴史上重要である。『クリスマス協奏曲』を含む『合奏協奏曲集』(作品6)は死後の1714年にアムステルダムで出版された。
[樋口隆一]
『佐藤章著「コレッリ、ヴァイオリン音楽の確立者」(『音楽の手帖・バロック音楽』所収・1981・青土社)』