日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説
ニコルソン(Ben Nicholson)
にこるそん
Ben Nicholson
(1894―1982)
イギリスの画家。画家ウィリアム・ニコルソンの息子としてバッキンガムシャーのデナムに生まれる。一時スレード美術学校に通ったものの長続きせず、絵はほとんど独学で修得した。その後、ヨーロッパやアメリカで絵を学ぶうちに、セザンヌやキュビスムに感化されて抽象的傾向の強い静物画や風景画を描いた。1931年彫刻家のバーバラ・ヘップワースと出会い(のちに結婚し1951年離婚)、翌年ともにパリのブラックやアルプを訪れ、ミロやコルダーの明るい色彩や自由な形態から強い影響を受けた。また、33年のモンドリアンとの出会いは彼を冷たい幾何学的な構成へと向かわせ、同年初めて円と方形だけのレリーフ作品を制作した。33~35年にはパリの「抽象=創造(アプストラクシオン・クレアシオン)」の展覧会に出品している。しかし、生来の落ち着いた色調と抑制の効いた構成に対する趣味は、作品に豊かな叙情性を生み、彼をモンドリアンのような極端に走らせることを妨げた。37年にはナウム・ガボらとともに構成主義のマニフェストというべき『サークル』誌を発刊した。ロンドンに没。
[谷田博行]
ニコルソン(William Nicholson)
にこるそん
William Nicholson
(1753―1815)
イギリスの化学者、発明家。東インド会社に勤めたのち、ロンドンで数学学校の経営や特許代理業などを職業とした。反フロギストン説にたつフランスのフルクロアAntoine François de Fourcroy(1755―1809)らの新しい化学書を精力的に翻訳し、また「ニコルソンズ・ジャーナル」として知られる科学雑誌Journal of Natural Philosophy, Chemistry and the Artsを発行した(1797~1813)。1800年5月、ボルタ電堆(でんたい)の発明が伝えられるとただちにカーライルAnthony Carlisle(1768―1840)とともに初めて水の電気分解を行い、水素と酸素を捕集した。ニコルソンの浮き秤(ばかり)(1787)、ローラー印刷機(1790)などを発明した。
[内田正夫]
ニコルソン(Seth Barnes Nicholson)
にこるそん
Seth Barnes Nicholson
(1891―1963)
アメリカの天文学者。木星の衛星4個の発見者。イリノイ州生まれ、父は地質学教師。1908年ドレーク大学のモーアハウスDaniel W. Morehouse(1876―1941)のもとで天文学を学んでいるとき彗星(すいせい)を発見。1914年リック天文台で木星の第9衛星を写真観測により発見し、その軌道計算を果たしてカリフォルニア大学から学位を取得。翌年ウィルソン山天文台に移り、1957年まで観測に従事。1938年に第10・第11衛星、1951年に第12衛星を発見した。このほか100インチ鏡に熱電対(でんつい)を取り付け、月、惑星、変光星などの表面温度を精密に測定した。1930年には冥王(めいおう)星の軌道、質量を決定。1963年、太平洋天文学会より金賞を受けた。
[島村福太郎]
ニコルソン(Jack Nicholson)
にこるそん
Jack Nicholson
(1937― )
映画俳優。ニュー・ジャージー州生まれ。17歳のときカリフォルニアに移る。映画会社MGMで雑務に従事、俳優ジェフ・コーリーのもとで演技を勉強する。1968年に映画初出演。その後、ロジャー・コーマン監督のもとで約10年間、B級映画の俳優としてだけでなく、製作や脚本の仕事にも携わる。1969年『イージー・ライダー』の酔いどれ弁護士役でアカデミー助演男優賞の候補にあげられ、一躍注目を浴びる。以後、『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970)、『愛の狩人』(1971)、『チャイナタウン』(1974)、『シャイニング』(1980)などで反体制的な役柄を演じ、『カッコーの巣の上で』(1976)でアカデミー主演男優賞を受賞した。1983年『愛と追憶の日々』でアカデミー助演男優賞受賞、さらに1997年の『恋愛小説家』で二度目のアカデミー主演男優賞を受賞、カリスマ性の強い個性と演技に円熟味が加わってきた。
[品田雄吉]