イギリス人宣教師、アイヌ研究者。ロンドン南方のサセックス州アクフィールドに生まれる。1877年(明治10)、イングランド教会(聖公会)の宣教師として来日、北海道で伝道する。当時の日本人の差別・偏見に満ちたアイヌ観に衝撃を受け、これを契機にアイヌへの布教活動を開始し、多数の信者を育てた。また、キリスト教的アイヌ教育を目的とする伝道学校(愛憐(あいりん)学校、1888)やアイヌの医療施設「アイヌ施療病室」(1892)、アイヌ子弟の寄宿舎「アイヌ保護学園」(1922)を設立し、アイヌに対する教育と医療に貢献した。しかしながら、バチェラーのこうした活動に対して、後年、違星北斗(いぼしほくと)が「五十年伝道されし此(こ)のコタン見るべきものの無きを悲しむ」と詠んだように、アイヌの側からの批判もあった。バチェラーは、アイヌ語・アイヌ文化の研究にも優れた業績を残し、日本のアイヌ研究の先駆者の一人に数えられている。著書には、アイヌの生活・文化を紹介した『蝦夷(えぞ)今昔物語』(1884)、アイヌ英和辞典『蝦和英三対辞書』(1889)など多数ある。第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)により帰国。バチェラーの旧宅は、現在、北海道大学農学部博物館バチェラー記念館として使用されている。歌集『若き同族(ウタリ)に』を著した歌人バチェラー・八重子(やえこ)は彼の養女である。
[竹ヶ原幸朗 2018年7月20日]
イギリス生れのキリスト教宣教師。1877年に来日し,以降,60余年にわたって北海道でアイヌへの布教活動を行うかたわら,アイヌ語・アイヌ文化について広範な研究を行い,アイヌ研究の権威となった。また,〈バチェラー学園〉を設立し,アイヌ子弟への教育活動にも貢献したが,太平洋戦争の勃発により1940年には日本を去ることを余儀なくされ,故国イギリスで生涯を閉じた。おもな著書に《蝦夷(えぞ)今昔物語》(1884),《アイヌ語文典》(1887),《蝦(か)和英三対辞書》(1887),《アイヌ炉辺物語》(1894),《アイヌ語新約聖書》(1897),《アイヌ人及其説話》(1900)などがある。
執筆者:中川 裕
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1854.3.20~1944.4.2
イギリス国教会宣教会宣教師・神学博士・アイヌ語学者。1877年(明治10)来日し北海道に居住。60余年にわたってアイヌにキリスト教を伝道,また福祉に尽くし「アイヌの父」といわれた。「アイヌ語辞典」をはじめアイヌ民族関係の著書40余冊を出版し,学界に大きな影響を与えた。第2次大戦のため帰国。
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…つまり学位制度は,ヨーロッパ系と,中国系とに二分される。ヨーロッパ中世の大学では,英語でドクターdoctor,マスターmaster,バチェラーbachelor(今日の学士)という三つの学位が生まれていた。このうち,ドクター(ラテン語doctor)はdoceo(教える)を語源とし,大学の教師資格を証明する称号であった。…
…新制大学発足時は24種,旧制大学時代は12種であった。現在の学士制度は欧米の大学卒業者に与えられるバチェラーbachelorの制度を移入したものである。しかし,日本の大学制度の中に学士制度があらわれたのは1872年(明治5)の〈学制〉の中であり,この時は古代の律令制度にならって,博士(はかせ),得業士と並んで大学卒業生への学位の一つとされた。…
※「バチェラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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