日本大百科全書(ニッポニカ) 「サルガド」の意味・わかりやすい解説
サルガド
さるがど
Sebastião Salgado
(1944― )
ブラジルの写真家、フォトジャーナリスト。ブラジル南東部のアイモレス生まれ。ブラジルのビトリアで法律を学び、サン・パウロ大学とアメリカ、テネシー州のバンダービルト大学で経済学を修めた後、1971年よりロンドンに本拠をおく国際コーヒー機構に勤務。アフリカでの現地調査を進めるうちに、写真家への志向が芽生え、73年より写真家として活動開始。同年アフリカのサヘル地域の干魃(かんばつ)を取材した写真が高く評価される。その後、ドイツのシグマ通信社、パリのガンマ通信社などに所属し、84年より写真家集団マグナム・フォトスの正式メンバーになる。86年ラテンアメリカ各地で撮影したシリーズ『もう一つのアメリカ』Other Americas、アフリカを取材した『サヘル』Sahelを出版、国際的なフォト・ジャーナリストとして名を馳せた。92年にハイテク化と脱工業化の影に隠された肉体労働者の作業現場を取材したシリーズを完結させ、93年に『人間の大地 労働』Workersとして出版する。2000年、難民、亡命、移民をテーマに40以上の国と地域を取材した『移住者』Migrationsを出版。
サルガドは、スーダン、エチオピア、マリの内戦と深刻な飢餓にみまわれた人々の置かれた危機的状況の記録を出発点に、政治・経済的、社会的に問題を抱えたアフリカ、中南米、そして東南アジアの国々を取材し、困窮した状況下における人間の生きざまを捉えた一群の作品によって国際的な名声を得た。もちろんこうした現象は、彼が初めて撮影し、報道したというわけではない。にもかかわらず、彼の仕事が80年代に一躍、新たなドキュメンタリーとして注目を浴びたのは、サルガドの仕事が伝統的なフォト・ジャーナリズムの形式を継承しつつ、欧米的ヒューマニズムが中心の『ライフ』誌的な写真とは一線を画す独自性を獲得したからである。そこには、真に世界的な規模で社会や地域の問題をみつめるサルガドの視点が貫かれている。その視点は、撮影に先立つ徹底した社会分析によって可能となった。彼はいわば学問的に分析することで獲得した客観的な世界観と信念に基づきながらも、「傍観者」として通過するタイプのカメラマンとは異なり、対象領域の奥深くまで自ら入り、そこに生きる人間の存在を掴(つか)むようにして撮影する。こうした理論的な思考のプロセスと主体的な撮影の実践をイメージに統合させるとともに、光と暗闇が拮抗しながら表現する独自のプリントに仕上げて、見るものの意識の奥底に、サルガドが捉えた問題の領域を明確に認識させる。これは、非西欧文化に属するブラジルに生まれながら、写真家に転身する以前、国際コーヒー機構において西欧の社会科学の方法論を熟知した経済学者として活動した経歴とも無関係ではない。
1990年夏に起きた湾岸戦争は、独創的なドキュメンタリストとしてのサルガドの存在をいっそう際立たせた事件でもあった。ミサイル攻撃など戦争の映像がリアルタイムでテレビ画面を通して日夜放送されたにもかかわらず、戦争のリアリティーは、むしろゲームの世界のようにしか感じられなかったという背理のなかで、サルガドは戦争直後のクウェートに潜入した。イラク軍が撤退する際、700本を超える油井で起こした火災を鎮火するために派遣された消火隊の仕事ぶりを撮り、91年6月『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』The New York Times Magazineに「クウェートの地獄」と題して発表した。地獄さながらの風景、消火隊の人々の形相、油井のそばに置き去りにされたイラク兵の屍(しかばね)などの写真は、この地域の抱えた問題の本質を意識化させるとともに、湾岸戦争のリアリティーとの接点を回復させてくれた。
テレビやビデオ、デジタル映像が浸透し、写真によるドキュメンタリーがいき詰まりを見せるなかで、サルガドの写真は、写真というメディアがふたたび世界の全体像を獲得する起点としての可能性を示してみせたのである。1989年、スウェーデンのエルナ&ビクトール・ハッセルブラッド国際賞を受賞。
[深川雅文]
『今福龍太訳『セバスティアン・サルガード写真集 人間の大地 労働』(1994・岩波書店)』▽『Sahel; L'Homme en Détresse (1986, Prisma Presse, Paris)』▽『Other Americas (1986, Pantheon Books, New York)』▽『An Uncertain Grace (1990, Apertue, New York)』▽『Migrations (2000, Aperture, New York)』▽『The Children; Refugees and Migrants (2000, Aparture, New York)』▽『「人間の大地」(カタログ。1993・東京国立近代美術館)』▽『「Workers」(カタログ。1994・Bunkamura ザ・ミュージアム)』