サン・アントニオ(読み)さんあんとにお(英語表記)San Antonio

翻訳|San Antonio

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サン・アントニオ」の意味・わかりやすい解説

サン・アントニオ
さんあんとにお
San Antonio

アメリカ合衆国、テキサス州南部の商工業都市。人口114万4646(2000)。サン・アントニオ川に面し、周辺に広がる農業地帯の商業・金融の中心地である。食品加工、航空機、建築用資材、化学製品、木工製品、衣服、機械などの工業が発達している。ケリーランドルフ、ブルークス、ラックランドの四つの空軍基地が近くにあり、最大の雇用機関となっている。

 1718年に建設された伝道教会サン・アントニオ・デ・バレロとサン・アントニオ・デ・ベジャール砦(とりで)が基礎となって町が建設された。スペインおよびメキシコの統治下時代には、テキサス地方の行政・軍事の重要な都市であった。テキサス独立戦争時の1835年12月にテキサスがサン・アントニオを占領したが、36年3月メキシコがアラモの砦を攻撃し、テキサス側の188人の兵士が全員死亡した話はよく知られている。南北戦争後、とくに1877年に鉄道が通じてから、スペインの町のおもかげを残す、牛の取引中心地として発展した。第二次世界大戦後、メキシコからの移民が流入し、住民の半分以上はメキシコ系である。

 市街地の中心を曲がりくねって流れている川の両岸遊歩道になっており、カフェーレストランが並び、川を観光船が行き来している。1749年建設の旧スペイン知事公邸、サン・フェルナンド寺院などが旧サン・アントニオとよばれる地区にある。ヘミスフェア・プラザには高さ228.8メートルのアメリカ塔があり、ここから市街地とその外側に広がる平原を展望することができる。

[菅野峰明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サン・アントニオ」の意味・わかりやすい解説

サンアントニオ
San Antonio

アメリカ合衆国中央南西部,テキサス州中央部の都市。エドワーズ高原の南東端,オースティンの南西 130kmに位置する。1691年スペイン人が入植し,1718年5月1日,サンアントニオ・デ・バレロ伝道所(→アラモ)の建設をもって創設された。1821年メキシコ独立革命によりメキシコ領となったが,1835~36年アラモが包囲され,守備隊はメキシコ軍に殺された。1845年アメリカ領となる。1890年代には家畜集散地として発展,「家畜の通路(チザム・トレイル)」の起点となり,今日も肉牛,野菜,羊毛の集散地で精肉業が盛ん。アメリカ陸軍・空軍の大規模な基地で,兵学校,訓練所がある。メキシコとの陸・空路の要地。スペイン風,メキシコ風の建築物,アラモの史跡,セントメリー大学(1852創立),トリニティ大学(1869創立)などがある。今日もヒスパニックが多く住む。アラモを含む五つの伝道所が 2015年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 132万7407(2010)。

サンアントニオ
San Antonio

チリ中部,太平洋にのぞむ港湾都市。首都サンチアゴの西約 90kmにあり,鉄道,道路で結ばれ,首都に最も近い港として重要。背後に肥沃な農業地帯を控え,果実,ワイン,大麦,小麦などを積出すとともに,東南東約 130kmにあるエルテニエンテ銅山からランカグアを経て鉄道で運ばれてくる銅を積出す。また海浜保養地として知られ,沿岸に連なるカルタヘナ,ヨイェオなどの保養地への観光基点ともなっている。人口7万 7635 (1991推計) 。

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