西アフリカ,セネガル共和国の首都。大都市域人口198万(2002)。アフリカ西端のベルデ岬に位置する大西洋岸の良港で,国際空港もあり,ヨーロッパと南アメリカを結ぶ交通の要衝である。ダカールを起点とする鉄道は隣国マリに通じる。世界最大のラッカセイ輸出港であるほか,カポック,アラビアゴム,サイザル麻,皮革などの積出港である。また精糖,ラッカセイ油,繊維,肥料,セメントなどの工業が発達し,伝統工芸として衣料,家具,宝石などが知られている。学術文化の面でもダカール大学,アフリカ研究所,パスツール研究所,博物館をはじめ教育施設が多い。ベルデ岬は16世紀末以来オランダ,イギリス,フランスによる争奪の的となったが,1857年にフランスは沖合のゴレ島と岬に住むフランス商人保護のため,この地に城塞を建設し,これがダカールの母体となった。85年セネガル河口のサン・ルイとの間に鉄道が開通して都市化が進んだ。87年フランスのコミューンとなり,1902年にはサン・ルイに代わってフランス領西アフリカの主都となり,アフリカのパリといわれる都市建設が進んだ。40年ビシー政権下にあったダカールを解放するため,上陸してきた自由フランス軍との戦場となり,42年アメリカ軍によって解放された。59-60年マリ連邦の主都となったが,60年にフランス領西アフリカが7独立国に分かれたため,ダカールはセネガルだけの首都となり,その政治・経済上の重要性は相対的に低下した。
執筆者:西野 照太郎
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西アフリカ、セネガルの首都。同国の政治、経済、文化の中心都市で、アフリカを代表する国際都市でもある。ダカール市の人口は91万9683、首都圏人口は241万1528(2001)。アフリカ大陸最西端のベルデ岬に立地し、沖合いにはかつて奴隷集積所であったゴレ島がある。ヨーロッパと南アメリカを結ぶ航路の補給基地であったが、19世紀にラッカセイ栽培が拡大し、1857年フランスにより岬に港が建設され、その積出し港として発展した。マリやセネガル北部のサン・ルイへの鉄道も建設され、人口も急増し商業の中心地ともなった。1902年にはフランス領西アフリカの首都となり、フランスの西アフリカ植民地支配の拠点となった。独立後もセネガルの首都として発展し、人口も急激に増加した。ヨーロッパと西アフリカ、南北アメリカを結ぶ要衝であることが重視され、西アフリカ中央銀行本店、FAO(国連食糧農業機関)地域本部など国際機関が立地し、国際都市ともなっている。ベルデ岬を構成する陸繋(りくけい)砂州と火山島上には、港を中心に「アフリカのパリ」といわれたヨーロッパ風市街が広がる。ダカール大学、ブラック・アフリカ研究所(IFAN)、博物館などがあり、西アフリカの学術の中心地でもある。工業では、落花生油、製粉、缶詰、自動車、造船、化学肥料、石油精製などがある。港はアフリカ有数の貿易港で年間600万トンの貨物を扱う。サンゴール国際空港L.S.Senghor international airport(ヨッフYoff国際空港)はヨーロッパと西アフリカ、南北アメリカを結ぶ重要な空港である。
[藤井宏志]
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アフリカ大陸最西端の岬に位置する都市。1902年から60年までフランス領西アフリカ総督府が置かれ,セネガル独立(60年)以降,首都。20世紀初めまでの小さな漁村は植民地化により変貌し,現在セネガル国土面積の0.3%の首都圏に総人口の20%超が住む過密都市になっている。
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