サンレモ(その他表記)San Remo

翻訳|San Remo

デジタル大辞泉 「サンレモ」の意味・読み・例文・類語

サン‐レモ(San Remo)

イタリア北西部、リビエラ海岸保養都市。1951年より毎冬カンツォーネコンクールサンレモ音楽祭が催される。

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精選版 日本国語大辞典 「サンレモ」の意味・読み・例文・類語

サン‐レモ

  1. ( San Remo ) イタリア北西部、ジェノバ湾に面する観光保養都市。リビエラ西海岸の中心地。第一次世界大戦後サンレモ会議、第二次世界大戦後はサンレモ音楽祭の開催地として知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンレモ」の意味・わかりやすい解説

サン・レモ
San Remo

イタリア北部リグリア州インペリア県の都市。人口6万0787(1981)。地中海に面し,温和な気候で風光明美なリビエラの西海岸で最も有名な国際的観光都市である。その歴史はローマ時代にさかのぼるが,中世以後は主としてジェノバ共和国支配に服し,12世紀には海上交通の基地となった。観光地としての発展は19世紀後半に始まり,今日では高級ホテルや別荘が建ち並び,公営カジノをはじめ数々の娯楽施設を備えている。第2次大戦後は,冬季の避寒客を集めるための歌謡祭が毎年開催されている。付近一帯はイタリア最大の花の生産地で,かつてのオリーブ,オレンジなどの栽培に代わって,温室苗床の広がる風景が見られる。ここで生産された花は他のヨーロッパ諸国にも出荷されている。旧市街は中世の面影をとどめている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンレモ」の意味・わかりやすい解説

サン・レモ
さんれも
San Remo

イタリア北西部、リグリア州インペリア県の都市。人口5万0524(2001国勢調査速報値)。12~18世紀には商業港として栄えたが、19世紀後半以降の国際級大ホテルの建設や、公設カジノ(1905)などの開設を契機として、リビエラ海岸屈指の観光、保養、避寒地に発展した。12月~2月の平均気温は10℃である。第一次世界大戦後の1920年4月には、戦勝国の会議(サン・レモ会議)が開かれた。また1951年からは、毎年冬にカンツォーネのコンクール(サン・レモ音楽祭)が開催されている。みるべき工業はないが、花の栽培と販売では有名である。丘陵上の「ピーニャ」とよばれる旧市街には、サン・シロ大聖堂(13世紀)をはじめ中世の建築が多数残っている。

[堺 憲一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンレモ」の意味・わかりやすい解説

サンレモ
San Remo

イタリア北西部,リグリア州インペリア県,リグリア海に面する観光都市。海岸に迫るアルプマリティム (海岸アルプス) の斜面にあり,温暖な気候に恵まれる。リビエラ海岸西部の保養・行楽地として知られ,海岸には豪華なホテル,カジノ,マリーナ,競馬場が並ぶ。オリーブ,レモンが栽培され,オリーブ油,ワインの取引中心地。切り花ではイタリア随一の生産地で,バラ,カーネーションなどが世界中に輸出される。 12~14世紀の大聖堂などがある。 1920年,第1次世界大戦後の戦勝国によるサンレモ会議が行われた。カジノで毎年催されるサンレモ音楽祭は世界的に有名。人口5万 5786 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「サンレモ」の意味・わかりやすい解説

サン・レモ

イタリア北部,リグリア海に臨む都市。ニース,モナコと続くリビエラ海岸の主要観光・保養都市。19世紀後半,英国やロシアの上流階級のリゾート地として発展した。バラやスミレやオリーブの栽培が盛んでイタリアの主要な花市場がある。毎年,国際的な歌謡祭が開催される。5万7000人(2006)。

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