カンツォーネ(読み)かんつぉーね(英語表記)canzone イタリア語

デジタル大辞泉 「カンツォーネ」の意味・読み・例文・類語

カンツォーネ(〈イタリア〉canzone)

イタリアの大衆的歌曲。親しみやすい明快なメロディーが特徴。

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精選版 日本国語大辞典 「カンツォーネ」の意味・読み・例文・類語

カンツォーネ

  1. 〘 名詞 〙 ( [イタリア語] canzone )
  2. 一四世紀から一八世紀にかけてイタリアで愛好された世俗詩の形式、およびそれに基づく歌曲、器楽曲
  3. イタリアの大衆的歌曲。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンツォーネ」の意味・わかりやすい解説

カンツォーネ
かんつぉーね
canzone イタリア語

イタリア語で「歌」「歌謡」という意味であるが、日本では普通、純クラシック曲を含まず、イタリアのポピュラー・ソングをさすことばとして用いられる。そのなかには、古くから各地に伝わる民謡もあり、プロの人気作曲家による作品もある。リリック(叙情的)な歌曲から、ジャズやロックの影響を受けたものまで多種多様であるが、全体的にみて第一の特色は、メロディが明るく美しく、だれにでも歌いやすいことである。内容も比較的単純で、率直な表現による恋の歌が多い。曲の構成は、たいてい2小節、4小節、8小節というように、規則正しく進行し、1番ごとにリトルネッロritornelloという繰り返しがついて曲調を盛り上げ、聞かせどころを形づくる。これに対して、曲の始めの「語り」にあたる部分をストロファstrofaという。

[永田文夫]

カンツォーネ・ナポリターナ

カンツォーネのなかでも早くから世界に知られていたのはカンツォーネ・ナポリターナ、略してナポリターナである。これはその名のとおり港町ナポリに発達したもので、ほかのカンツォーネとは違った独特の特徴をもっている。すなわち、歌詞はナポリ方言で書かれ、メロディや節回しにもエキゾチックな外来音楽の影響がうかがえる。

 現存する最古のナポリターナは、12世紀初頭の『太陽がのぼる』という歌であるといわれる。その温床となったのは、15世紀の中ごろから始まったピエディグロッタの歌祭りであった。もともとはナポリの漁師たちが聖母像に歌や踊りを奉納して、大漁や海上安全を祈り、感謝を捧(ささ)げる祭礼であったが、やがて全市をあげての音楽祭となり、1860年のイタリア統一後は、ナポリが商業の中心地として栄えるとともに一段と活気を呈した。そして、1891年から、出品された新曲を審査員が審査して優勝を決めるコンテスト形式が制度化され、『オ・ソレ・ミオ』(1898)、『帰れソレントへ』(1902)などの名歌が世に送り出された。

 下って1930年代、北イタリアのミラノに主導権を奪われてナポリが斜陽化するにつれ、ナポリターナも衰微したが、歌祭りの伝統を守るべく、52年からナポリ音楽祭が発足した。

[永田文夫]

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後カンツォーネ界のリーダーシップをとったのは、1951年に始まったサン・レモ音楽祭である。当初の目的はシーズンオフの観光客誘致であったが、58年に『ボラーレ』、59年に『チャオ・チャオ・バンビーナ』というドメニコ・モドゥーニョの作品が2年連続して優勝、その大ヒットによって、サン・レモ市の名は全世界に知られ、カンツォーネ全体がインターナショナルなスタイルを身につける。モドゥーニョをはじめ新しいタイプのカンタウトーレcantautore(作曲家兼歌手、いわゆるシンガーソングライター)が輩出し、ミーナらロック調のカンツォーネ歌手も登場した。こうして、60年代の前半、ミルバ、チンクェッティGigliola Cinquetti(1947― )らの人気歌手も現れて、カンツォーネは日本でも大いに流行し、黄金時代を迎える。

 一方、ビートルズの大成功に刺激されて、グループが次々に結成され、1966年ごろからグループ・サウンズのブームがおこった。しかし、あまりに難解なカンタウトーレや、前衛的になりすぎたグループはかえって大衆から遊離してしまい、70年代はいささか低迷の観があったことは否めない。その後は、カンツォーネ本来の味わいを尊重した、ソフトな親しみやすい歌が、ふたたび好まれるようになってきた。

[永田文夫]

さまざまな音楽祭

祭り好きの国民性を反映して、イタリアではナポリ音楽祭、サン・レモ音楽祭のほかにも数多くの音楽祭が行われる。たとえば、1959年からボローニャで開かれている「ゼッキーノ・ドロ」は子供のための音楽祭で、『黒猫のタンゴ』などのヒットを生んだ。「夏のディスク・フェスティバル」は、バカンス・シーズンのレコードセールスを目的としたコンテスト、「フェスティバルバール」も、同じく夏の避暑地のジューク・ボックスに参加曲を入れて、かかった回数を競い、上位歌手を集めて決選大会を開くという趣向で、いずれも64年から始まった。さらに、65年にはベネチア音楽祭がスタート。また「カンツォニッシマ」は1956年にラジオで開始、58年にテレビに移して、毎年方法を変え、一時はトトカルチョを採用して人気をあおった。これらを含め、音楽祭がピークに達した65年前後には、イタリア全土で119のコンテストが行われていたという。カンツォーネは音楽祭によって発展したといっても過言ではない。

 しかし、1970年代以降、経済の悪化に伴って音楽祭の運営が困難となり、その権威も低下して、出場を拒否する歌手も現れた。音楽祭も次々に消滅したが、サン・レモ音楽祭、ナポリ音楽祭、フェスティバルバールなどは、21世紀に入っても継続され、カンツォーネの牙城(がじょう)を守っている。

[永田文夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「カンツォーネ」の意味・わかりやすい解説

カンツォーネ
canzone

イタリア語抒情詩の詩型の一つ。最古の用例は13世紀のシチリア派の作品に見られ,清新体派の詩作を経てペトラルカに至ってその古典的形式が確立した。ダンテは《俗語論》第2巻の中で,カンツォーネこそ愛を含む崇高な主題を扱うのに最も適した詩型であると述べ,その規則を論じている。カンツォーネは長さ,構造を同じくするいくつか(多く5~7)の詩節(スタンツァstanza)の集合から成り立つ。普通一つの詩節は韻律の異なる二つの部分に分かれ,前半部をフロンテfronte,後半部をシルマsirmaと呼ぶ。さらにフロンテは同じ構造を有する通常二つの部分(ピエデpiede)に分かれ,シルマも同様に二つのボルタvoltaに分割し得る。1詩行は多く11音綴ないし7音綴である。1詩節中の詩行数(おおむね10~20),脚韻(リーマrima)配置の型は作品によってさまざまである。一連の詩節の最後に,コンミアートcommiatoないしコンジェードcongedoと呼ばれる,先行詩節より通常短い結びの節が置かれて作品が締めくくられる場合が多い。カンツォーネの起源はプロバンス語詩のカンソcansoにあるとも言われるが定かではない。古典的なカンツォーネ形式は20世紀に至るまで命脈を保ったが,一方,長さや内部構造が各詩節ごとに異なる〈自由カンツォーネ形式canzone libera〉が17世紀の詩人A.グイーディ(1650-1712)によって創案され,後のレオパルディも同様の詩型を用いている。
執筆者:

音楽の分野では,時代や形式によってさまざまな内容をもつ。

(1)16世紀イタリアの世俗的な声楽曲のうち,一つはカンツォーネ形式の詩に作曲したもの(1610年ころのフロットラ集の中にあり,マドリガルの母胎となった),もう一つは,のちのビラネラ型のもの(カンツォーネ・ビラネスカ,ナポリ風カンツォーネ)。

(2)16~17世紀のイタリアの器楽の一種目。ネーデルラント楽派のシャンソンを器楽に編曲することから始まり,のちに,初めから器楽曲として作曲された。リュートや鍵盤楽器の独奏曲と,合奏用のものに大別され,前者はフーガの,後者はソナタの母胎となった。この種の曲はカンツォーナcanzonaと呼ばれていることが多い。

(3)18~19世紀の抒情的な歌(モーツァルトの《フィガロの結婚》のケルビーノのアリア〈恋の悩み知る君は〉など)や同様の性格のゆるやかな器楽曲をいう(一つの楽章のこともある)。
執筆者: イタリアの民衆歌謡を指して使われる場合,範囲はかなり広く,クラシック歌曲は含まれないが,民謡から流行歌まで含むと考えられる。《サンタ・ルチア》《オ・ソレ・ミオ》などよく知られた民謡も,カンツォーネ・ナポレターナ(ナポリの歌)であり,ナポリにあるピエディグロッタ教会で毎年9月7日に行われる祭りの日に市民たちが自作の歌を奉納する慣習があったことから,数多くのナポリの歌が生まれた。そうした伝統は,1951年から始まった,北イタリアの観光の町サン・レモでの歌謡祭に形を変えて受けつがれ,58年の第8回歌謡祭で優勝した《ボラーレ》が世界的にヒットしたことから,新しいカンツォーネが世界で親しまれるようになった。近年はロックなど外国の音楽の影響をうけた曲がふえているが,普通それらもカンツォーネの一部と考えられている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「カンツォーネ」の意味・わかりやすい解説

カンツォーネ

イタリア語で〈歌〉の意。カンツォーナcanzonaとも。ルネサンスでは,マドリガルよりも単純な世俗多声部曲をさし,またフランスの多声部のシャンソン,その鍵盤(けんばん)楽器用編曲や同様式の合奏曲などもいう。現在ではイタリアのポピュラー・ソングをさす。カンツォネッタcanzonettaは〈小さなカンツォーネ〉の意。
→関連項目ガブリエリベッキ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カンツォーネ」の意味・わかりやすい解説

カンツォーネ
canzone

イタリア語の歌。一般にイタリアのポピュラーソングをさす。フランスのシャンソンにあたるものであるが,イタリアの気候風土を反映して,メロディーは明るく単純で,内容も率直に表現された恋の歌が多い。曲の構成は2,4,8小節と倍ごとに進行し,ほとんどが2部形式,3部形式をとる。 1940年代以降の曲にはこの前にストロファ strofaという語りの部分のついたものが多い。古くはナポリ民謡が有名だが,カンツォーネが現在のように全世界に知られるにいたったのは,1951年にサンレモ音楽祭,53年にナポリ歌謡祭が始ったことによるところが大きい。

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音楽用語ダス 「カンツォーネ」の解説

カンツォーネ[canzone]

イタリアの代表的なポピュラー・ミュージックのこと。本来のイタリア語の意味は“歌”というだけで特にジャンルを示すものではないが、一般的にはイタリアの太陽や国民性を思わせるような明るく、朗々と歌い上げられる曲を指す。

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世界大百科事典(旧版)内のカンツォーネの言及

【イタリア映画】より

…イタリア映画史の研究家エットレ・マルガドンナは,ファシズム時代に作られた500本に余るイタリア映画のうち,〈100%ファシスト映画〉といえるものはこの《シピオネ》を筆頭にせいぜい4,5本しかなかったと断じているが,むしろそれほど〈国策〉に協力する体面づくりの作品がよきにつけあしきにつけ多かったということになろう。 国策映画とともに,1930年代のイタリア映画の主流になったのは,トーキー以後のポピュラーなカンツォーネを主題歌にした軽い歌謡映画(トーキー映画第1作が作られたのは1930年,大ヒットした主題歌〈愛のカンツォーネ〉で知られるジェンナーロ・リゲッリ監督《愛の唄》であった)の流れに,姦通のメロドラマの味とエロティックな笑いのセンスをまじえた軽い喜劇(サロンや寝室の白い電話機を小道具にして物語が展開するので,〈白い電話機映画〉と呼ばれた一種の現実逃避映画)であった。戦後も歌うコメディ(カンツォーネの女王,ミーナが特別出演したドメニコ・モドーニョ主演の《歌え!太陽》(1960)やトニ・レニス主演の《サンレモ乾杯》(1962)等々)を盛んに作ったマリオ・マットリ監督らがその一派から出た。…

【イタリア音楽】より

…イタリアの楽界はまた,スカラ座をはじめとする諸劇場におけるオペラの上演や,イタリア放送協会のオーケストラなどの演奏に,高い水準を示しており,ピアノのM.ポリーニらをはじめとして,名演奏家にも事欠かない。またイタリアは,カンツォーネと総称される大衆的な歌の国でもある。【戸口 幸策】
【民俗音楽】
 イタリアの民謡として世界的に知られるものにナポリのそれがある。…

※「カンツォーネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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