オーストリアの政治家、カトリック高位聖職者。教授として、ザルツブルク、ウィーンで倫理神学を講じた。1918年ハプスブルク帝国最後の政府の厚相を務め、第一次世界大戦後、キリスト教社会党の国会議員となり、1921~1929年同党総裁、また1922~1924年および1926~1929年には連邦首相として活躍、通貨安定に貢献し、行政改革を進めた。保守的政治路線をとり、社会民主党とは対立、1924年6月1日には暗殺未遂事件によって重傷を負った。もともと大ドイツ主義の信奉者で、1925年以後も、中央ヨーロッパの再編成を目標として、ドイツとの併合を主張していた。
[中井晶夫]
1876~1932
オーストリアの政治家。第一次世界大戦後の共和制下,キリスト教社会党のリーダーとして,民族主義派政党などとの間で連合政権を再度に及んで形成した(1922~24年,26~29年)。神学者でもあり,野党の社会民主党には敵対的な態度をとった。特に,1927年に起こった左右武装組織の衝突事件の収拾に際し,社会民主党系組織に対する強硬措置を貫いたため,両党間の対立を抜き差しならないものとし,議会政治の危機を深めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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