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行政改革 ぎょうせいかいかくadministrative reform

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

行政改革
ぎょうせいかいかく
administrative reform

行政機構は行政機能を生かすときにはじめてその存在理由があると考えられるが,行政目的と行政手段の変化につれて,行政機構の再編成が絶えず求められることになる。アメリカでは 1937年の F.D.ルーズベルト行政機構改革案,47年と 53年の2次にわたるフーバー委員会改革案が著名である。日本でも 61年と 81年の2次にわたりフーバー委員会に範をとって臨時行政調査会が設置され,改革案を答申した。その後数次にわたって臨時行政改革推進審議会が設置され,改革案を答申しているが,その実現は難しく,行政改革のためのリーダーシップが強く求められている。

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知恵蔵の解説

行政改革

1980年代以降、日本の政治と行政は、「行政改革」をめぐって多様な議論が展開された。行政改革という言葉の意味は極めて多義的である。行政改革は、革命、政権の交代、経済社会変動などの行政環境の変化を与件として、必要性が論じられる。こうした背景から、行政改革はおおむね次の4つの意味を認めることができる。第1は、国の行政を支える基本的な制度、つまり行政組織制度、地方制度、公務員制度、税財政制度などの改革である。第2は、既存の行政組織制度の枠内における行政省庁の統廃合、新設などである。第3は、行政組織の管理面における改革であり、人事、定員の削減、経費の縮減などである。第4は、政府の政策内容により深くかかわるものであり、事務事業の縮小などの責任領域の変更である。これらは密接に連動している。ただ、各国の時々の行政改革は、これらのいずれかに力点を置くものであるといってよい。こうした行政改革には、手法面からみるともう1つの特徴を指摘できる。通常、行政の基本的制度の改革を除いた上記のような改革は、年次予算編成過程に大なり小なりみられる。だが、それを「行政改革」と表現することはない。行政改革は内閣ないし大統領のもとに諮問委員会が設置され、そこでの調査と報告を受けて実施されることが多い。日本の事例としては、62年から64年にかけて設けられた(第1次)臨時行政調査会(臨調)、81年から83年まで活動した(第2次)臨時行政調査会、96年11月から97年12月にかけて設置された行政改革会議が挙げられる。第2次臨時行政調査会は国鉄・電電・専売公社の民営化などを答申した。また、2001年1月の中央省庁再編成は、行政改革会議の最終報告をもとにしている。

(新藤宗幸 千葉大学法経学部教授 / 2007年)

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デジタル大辞泉の解説

ぎょうせい‐かいかく〔ギヤウセイ‐〕【行政改革】

国や地方公共団体行政機関の組織や機能を改革すること。主に、財政の悪化や社会の変化に対応して、組織の簡素合理化、事務の効率化、職員数や給与の適正化などの形で行われる。行革

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百科事典マイペディアの解説

行政改革【ぎょうせいかいかく】

政治・行政上のシステムの改変・改革のこと。特に1990年代以降の日本では,行政システムが国内的,国際的な環境の変化に十分対応しきれず,制度疲労を起こしているとの認識に立って抜本的な改革を求める声が国民の間にも高まっている。
→関連項目行政裁量行政手続法許認可行政公団国際協力銀行国立大学法人中央省庁等改革基本法特殊法人土光敏夫日本郵便

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょうせいかいかく【行政改革】

1962年池田勇人内閣下に臨時行政調査会が設置されて以来広く一般に流布した概念であるが,その内容はあいまいであるため,行政改革が企てられるたびごとに,行政改革とはいかなるものであるべきかが論争の種となっている。しかし,通常このことばにこめられている意味を整理すれば以下のようにいえよう。
[三つの用語法]
 まず第1に,地方制度,財政制度,公務員制度,行政組織制度,行政運営ないし行政手続の制度など,行政管理の基本にかかわるような諸制度の改革を指して行政改革という用語法がある。

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大辞林 第三版の解説

ぎょうせいかいかく【行政改革】

国や地方公共団体の行政機関について、その組織や運営を内外の変化に適応したものに変えること。組織の統廃合、事務の効率化、規制緩和などを目的とする。行革。 「 -審議会」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

行政改革
ぎょうせいかいかく

国や地方公共団体の行政組織(公務員制度を含む広義の行政組織)自体と、その活動およびそれらをめぐる紛争の解決方法や活動権限を授権し統制する制度の改変。狭義には行政組織(公務員制度を含まない)に関する改変のみをさすことがある。

行政改革の二つのタイプ

従来の行政改革は、憲法原理の転換を前提として行われるものと、憲法原理の転換を前提とせずむしろ憲法を前提としつつ行われるものとの二つのタイプの行政改革がみられた。前者は、明治憲法から日本国憲法への転換、すなわち、天皇主権に代表される立憲君主制の下での諸原理から、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、地方自治などの原理への転換に伴う、いわゆる戦後改革として行われた広義の行政組織の改革・再編成である。後者は、国民の要望や社会構造の変化に対応するもの、行政組織に内在する慣行的膨張的傾向に対する反省として行われるもの、あるいは経費節減を目的とした財政改革の一環として行われるものなどである。日本国憲法の下での行政改革は、このタイプの行政改革に限定されるべきであり、憲法の諸原理に照らして民主的で公正かつ効率的、および国民の負担(租税)によって行われるがために、簡素な行政を実現するものとして実施されなければならない。また、このタイプの行政改革は、憲法原理をより忠実に実現する観点から、時代の国民の要請にこたえうるよう、不断に行われる必要がある。

第一次・第二次臨調

戦後改革以後、1962年(昭和37)および1981年に、行政改革のための重要な諮問機関が当時の総理府の付属機関として臨時的に設置された。その性格・審議事項・組織・権限などが類似するところから、前者は第一次臨時行政調査会、後者は第二次臨時行政調査会とよばれている。第一次臨時行政調査会は、1964年9月に総論と16項目の具体的な改革案を答申し、行政の総合調整機能の強化をはじめ行政における民主化の徹底などの6点にわたる「行政改革の考え方」から、単に機構改革にとどめず、事務の再配分や行政手続法の制定など、行政の組織と作用全般について総合的な改革課題や改革意見を示した。しかし、これらの意見はほとんど実現されず経緯し、1973年のいわゆる「オイル・ショック」に端を発した財政危機の回避を契機とする第二次臨時行政調査会の発足に至った。同調査会は、1981年7月から1983年7月にかけて、5次にわたる答申を提出し、「増税なき財政再建」をてことする行政改革案を示した。これらの答申は、全体として、行政の目ざすべき二大目標として「活力ある福祉社会の建設」と「国際社会に対する積極的貢献」をあげつつ、公的部門の縮小(民間活力の導入・いわゆるディレギュレーションとよばれる規制緩和)や行政の総合調整機能・企画調整機能の強化を目的とする機構および作用の改革がその主たる内容となっている。

行革審の活動と諸組織の設置

第二臨調が最終答申を提出して解散した1983年から、第二臨調の諸答申に基づく行政改革の推進と監視のための機関として臨時行政改革推進審議会(行革審)が設けられ、1993年(平成5)10月まで3次にわたって設置され活動を続けた。1990年代に至るこの間の行政改革の成果として、
(1)国鉄改革をはじめとする三公社の民営化など特殊法人の整理合理化
(2)1982年度から1996年度までに4万3169人の国家公務員の純減
(3)総務庁の設置など行政組織の再編・整理合理化
(4)公的年金制度等各般の制度改革
(5)1990年度予算における特例公債への依存からの脱却
などが挙げられている。
 他方、1990年代後半以降の改革拡大課題として、
(1)規制緩和の推進
(2)特殊法人等の改革の推進
(3)地方分権の推進
(4)補助金等の整理合理化
(5)行政情報公開の推進、行政手続の適正化
(6)行政組織等の合理化等
(7)内閣の総合調整機能の充実
(8)行政の情報化
などが挙げられている。
 そのために、第三次行革審の最終答申を受けて、1994年1月には内閣に行政改革の積極的な推進のため内閣総理大臣を本部長とする行政改革推進本部が設置され、同年12月には行政改革の推進監視体制の整備を図るため第三者機関として行政改革委員会が発足した。分権化については1995年7月に地方分権化推進委員会が、また、1996年11月には内閣総理大臣に直属する行政改革会議が設置された。

行革諸法の制定と問題点

行政改革委員会は、1995年(平成7)3月に情報公開法要綱案を柱として「情報公開法制の確立に関する意見」を提出するなどの活動を行い、1997年12月に規制緩和の推進と行政の守備範囲を見直す行政関与のあり方(官民活動分担)を内容とする最終答申を提出して解散した。他方、行政改革会議は、これまでの1府22省を「大括(くく)り」で1府12省とする中央省庁等改革基本法の制定に直結する最終報告書(1997年12月)を提出し、同法が主要目的とする内閣機能の強化と、数はほぼ半減したが主要な巨大省庁(総務省および国土交通省)を2001年1月から創設する設置法の成立に至った。また、行政の効率化を目的として、公的部門の民営化と公務員総数の削減を狙(ねら)いとした、独立行政法人化という新たな行政組織改革が行われ、独立行政法人通則法第2条により、89の事務・事業について2001年4月より独立行政法人が順次整備されることになった。他方、地方分権化推進委員会は、1998年11月に最終答申(第五次答申)を提出した。これを受けて、新たに整序された地方の事務・事業(自治事務と法定受託事務)の実施に必要不可欠な財源を保障しないまま、地方分権化の推進を図る一方で地方統制を新たに強化するという、矛盾をはらんだ地方自治行政(制度)改革が行われた。

(はたん)">財政構造改革法制定とその破綻(はたん)

この間、1997年(平成9)12月には、個別の行政のあり方を問わずに一律の歳出削減によって行政改革を推進することを究極的に意図した、「財政構造改革の推進に関する特別措置法」(財政構造改革法)が制定された。1998年度予算はその内容を先取りして編成されたが、国民負担のみが突出して未曽有(みぞう)の経済不況を招き、1998年6月には特例公債の発行を可能にする例外を設ける改正が行われ、同年12月には同法の施行を停止する法律の制定に至った。橋本龍太郎(はしもとりゅうたろう)内閣(1996~1998)による財政構造改革が金融危機、経済不況により行きづまると、その後の小渕恵三(おぶちけいぞう)内閣(1998~2000)はもっぱら経済不況対策のための公共事業を実施した。その結果、それにあてられる多額の財源を借金(国債・地方債をあわせた公債)に依存する体制が瞬時に復活した。小泉純一郎内閣(2001~2006)は「聖域なき構造改革」をスローガンとして掲げ、バブル経済の負の遺産である不良債権処理に始まり、労働者派遣法改正や構造改革特区の導入などの規制緩和、道路公団・郵政民営化などに代表される「官から民へ」と、三位一体改革(国庫補助金の縮減、廃止と地方交付税制度の見直し、地方への税源移譲)などを内容とする「中央から地方へ」の二つを柱とする小泉改革を実施した。[福家俊朗・山田健吾]

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世界大百科事典内の行政改革の言及

【労働運動】より

…資本主義社会において,労働者階級が労働条件や生活条件の改善を通じてその経済的・政治的・社会的地位の向上を目ざす運動の総称。 労働運動は,資本主義の発展に照応して変化しつつ発展する。資本主義の発展がそもそも国によって不均等であり,階級構成や権力構造も異なるので,各国における労働運動の発展も一様ではない。イギリスでは資本主義がいち早く成立し,農民層の分解が徹底して行われたので,労使の関係も早くから明確な対立関係という形をとった。…

※「行政改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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