南西ドイツのマンハイムで栄えた前古典期の重要な楽派の一つ。一般に,音楽好きのファルツ選帝侯カール・テオドルが継位した1742年からバイエルン選帝侯としてミュンヘンに移った78年までを指す。とくに優秀な楽員を集めたその宮廷楽団は,統一されたボーイングと自在な強弱法など,当時の欧州随一の整然とした演奏能力を誇り,オーケストラ演奏とシンフォニア(交響曲)の発展に多大の貢献をした。この宮廷楽団を育成したチェコ出身のシュターミツをはじめ,リヒターFranz Xaver Richter(1709-89),ホルツバウアーIgnaz Holzbauer(1711-83),さらにカンナビヒ,シュターミツの息子カールおよびアントンら,優れた作曲家,演奏家が輩出した。いわゆるマンハイム様式は,有名なクレッシェンド効果と音量の急激な対比,〈ため息の動機〉と呼ばれる2度下行する短い音型や〈ラケーテン(打上げ花火)〉と呼ばれる勢いよく上行する分散和音の音型,のびのびとした旋律線,主題対比,メヌエットを第3楽章に置く交響曲の4楽章制,クラリネットの導入などを特徴とする(ただしこれらは必ずしもマンハイム起源のものではない)。モーツァルトやベートーベンなどに与えた影響は大きい。
執筆者:土田 英三郎
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18世紀ドイツのプファルツ選帝侯国の首都マンハイムの宮廷において、カール・テオドール侯(在位1743~78)に仕えた音楽家たち。前古典派の拠点の一つであり、交響曲をはじめ、古典派様式を準備するとともに、絢爛(けんらん)豪華な宮廷音楽生活を繰り広げた。当時のドイツの交通要路であったライン川とネッカー川の合流点であり、テオドール侯の平和外交によって富み栄えたマンハイム宮廷は、当時としては最大規模の54名以上の大オーケストラを誇り、夏の離宮であるシュウェツィンゲン宮には最新の設備による歌劇場を建て、前古典派の代表的な作曲家ヨハン・シュターミッツを先頭に、才能豊かな数多くの音楽家を擁した。従来、音楽史上では交響曲の成立に関して、マンハイム楽派の貢献が高く評価されてきたが、その他の器楽曲、オペラ、教会音楽の発展におけるマンハイム楽派の役割も、再認識されつつある。
[中野博詞]
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