改訂新版 世界大百科事典 「シコルスキ」の意味・わかりやすい解説
シコルスキ
Władysław Sikorski
生没年:1881-1943
ポーランドの軍人,政治家。当時オーストリア領であったガリツィア地方のトゥシュフ・ナロドービに生まれる。父は学校教師。リボフで土木技師として活動する。1908年から政治運動に加わり,秘密軍事組織を樹立。第1次世界大戦中ポーランド軍団を組織,オーストリア側に立ってロシア軍と戦う。15年ころから指導権をめぐってJ.ピウスーツキと対立する。20年ソビエト・ポーランド戦争で軍功を挙げ,同年参謀総長,22-23年首相兼軍事相を歴任する。26年ピウスーツキのクーデタに荷担せず,左遷される。その後著述活動に専念し,30年代野党活動を展開,ポーランド労働党を創設してその党首となる。第2次世界大戦勃発とともに亡命政府を組織,その首相となる。独ソ戦勃発後ソ連と国交を回復,相互援助宣言を交わす。しかし,東方国境問題をめぐってしだいに対立を深め,43年カティン事件への対処を誤ってソ連の国交断絶措置を誘発する。同年7月中東のポーランド軍視察の帰途ジブラルタル上空で飛行機事故のため墜落死した。
執筆者:伊東 孝之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報