シスモンディ(読み)しすもんでぃ(英語表記)Jean Charles Léonard Simonde de Sismondi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シスモンディ」の意味・わかりやすい解説

シスモンディ
しすもんでぃ
Jean Charles Léonard Simonde de Sismondi
(1773―1842)

スイスの歴史家、経済学者。シモンドが本来の姓、ドゥ・シスモンディは筆名ジュネーブの富裕な牧師の家に生まれたが、父の破産のためリヨンに商業見習いに出たり、フランス革命の余波を受けて一家でイギリスに逃れたりしたあと、イタリアのトスカナ(ペシャ)に移って農業経営に従事した(1794~1800)。この間の経験と考察をまとめた『トスカナ農業の概観Tableau de l'agriculture de la Toscane(1801)で世に認められ、以後ジュネーブに戻って歴史と経済学の研究と著述の生活に入り、スタール夫人との交友を通じて文芸上のロマン主義運動にも参加した。当時はむしろ『中世イタリア諸共和国史』Histoire des républiques italiennes au moyen âge全16巻(1807~18)の著者、歴史家として著名であったが、今日では経済学者としてのほうが有名である。その経済学上の最初著書『商業的富について』De la richesse commerciale, ou Principes d'économie politique appliqués à la législation du commerce(1803)では、スミスの経済学を解説し、その自由主義原理にたってナポレオンの保護政策を批判したが、1815年のナポレオンの失脚後のウィーン体制によるヨーロッパの政治的反動のなかで、またイギリスの産業革命の諸弊害、ことに増大する生産力のもとでの大衆の窮乏化を前にして、主著『経済学新原理』Les nouveaux principes d'économie politique, ou De la richesse dans ses rapports avec la population全2巻(1819)では、恐慌を初めて資本主義体制に根ざす基本的矛盾の必然的な現れとしてとらえ、これを消費を超える生産の過剰、いわゆる「過少消費」説で説明して、資本主義の批判者となった。彼はこれによって古典派経済学最後の人で最初の批判者とされるが、一方対策として、政府干渉によって資本家的自由競争を抑制し、同業組合や家父長的農耕の秩序のもとでの調和や連帯を求めることを唱えたため、「小ブルジョア社会主義」あるいは「経済学的ロマン主義」の代表とされる。

[津田内匠]

『菅間正朔訳『経済学新原理』全2巻(1949、50・日本評論社)』『吉田静一著『異端の経済学者シスモンディ』(1974・新評論)』『吉田静一著『フランス古典経済学研究』(1982・有斐閣)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シスモンディ」の意味・わかりやすい解説

シスモンディ
Sismondi, Jean Charles Léonard Simonde de

[生]1773.5.9. ジュネーブ
[没]1842.6.25. シェーヌ
スイスの歴史家,経済学者。パリを中心とするフランスの思想家,学者のサークルと交わり多彩な文筆活動を行い,特にその経済思想において過小消費説に立つ経済恐慌の理論を構想した。主著『中世イタリア諸共和国史』 Histoire des républiques italiennes du Moyen Âge (16巻,1807~18) ,『政治経済学の新原理』 Nouveaux Principes d'économie politique (19) ,『フランス史』 Histoire des Français (31巻,21~44) 。

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