スタール夫人(読み)すたーるふじん(英語表記)Germaine Necker Staël

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタール夫人」の意味・わかりやすい解説

スタール夫人
すたーるふじん
Germaine Necker Staël
(1766―1817)

フランスの女流評論家、小説家。ルイ16世のもとで財務長官を務めたネッケルJacques Neckerの娘で、駐仏スウェーデン大使スタール男爵と結婚。少女時代、母のサロンに集まる啓蒙(けいもう)思想家の言説に影響されて自由主義・民主主義の思想を抱き、フランス革命時代には立憲君主主義を奉じ、たびたび国外に避難を余儀なくされた。バンジャマン・コンスタンと親しく、自由思想を弾圧したナポレオンと不和になって1803年国外に追放され、ドイツ、イタリアに行き、長くスイスコペーに滞在、ここで作品を書いた。小説に『デルフィーヌ』Delphine(1802)、『コリーヌ』Corinne ou L'Italie(1807)があり、論文に『社会制度との関係からみた文学』De la littérature considérée dans ses rapports avec les institutions sociales(1800。単に『文学論』ともいう)、『ドイツ論』De l'Allemagne(1810)がある。

 彼女は芸術的感性よりも博大な批判的知性に恵まれ、その文学論は、社会環境と文学との関係に着目して、19世紀のテーヌなどの実証的批評先駆となった。また、『ドイツ論』は北方文学としてのドイツ文学を発見し、ロマン主義原理宣揚、超国家的なヨーロッパ文学の提唱を含んでいる。

[平岡 昇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタール夫人」の意味・わかりやすい解説

スタール夫人
スタールふじん
Staël, Madame de

[生]1766.4.22. パリ
[没]1817.7.14. パリ
フランスの女流文学者。本名 Anne Louise Germaine Necker,baronne de Staël-Holstein。ルイ 16世の財務長官ネッケルの一人娘で,早くからその才気によってサロンで注目を浴びた。革命とその後のナポレオンの迫害によって国外に逃れ,スイス,ドイツなどで亡命生活を続け,ナポレオン失脚後に帰国 (1815) 。その間ヨーロッパの一流の知識人と交わり,高い声価を得た。彼女は,文学の第一条件は自由であるとし,特に評論『ドイツ論』 De l'Allemagne (10) においてはロマン主義的なゲルマン文化を紹介して,フランス・ロマン主義の発展に大きく寄与した。ほかに,評論『社会制度との関係において考察した文学について』 De la littérature considérée dans ses rapports avec les institutions sociales (1800) ,小説『デルフィーヌ』 Delphine (02) ,『コリンヌ』 Corinne (07) 。

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