シャテルペロン文化 (シャテルペロンぶんか)
中部フランスのシャテルペロンChâtelperronのフェ洞窟を標準遺跡とする後期旧石器時代最初の文化。前3万5000-前3万年におかれる。オーリニャック文化前期,あるいはペリゴール文化第I期と呼ばれたこともある。分布は主として西南フランスに限られる。特徴的な石器は片縁を曲線形に刃つぶしした,シャテルペロン型ナイフ形石器である。石器にはムスティエ文化の特色が残るが,骨角器の出現はまったく新しい要素である。また装身具や,刻線を施した骨角器などに美術活動の萌芽をみる。アルシー・シュル・キュールのレンヌ洞窟では,マンモスの牙を主柱とした円形住居の跡が知られる。またそこで検出された数本のヒトの歯はネアンデルタール人的であるといわれ,クロマニョン人とされたコンブ・カペル人骨の見解と対立する。唯一の良好な骨格資料である後者は遺失してしまい,解決は将来に残される。
執筆者:山中 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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シャテルペロン文化
シャテルペロンぶんか
Châtelperronian culture
フランス南西部を中心に後期旧石器時代初頭に栄えた文化。広義のオーリニャック文化に含まれる。幅広のナイフ形石器が特徴とされている。中期旧石器時代的な伝統を色濃く残しながら,後期旧石器時代の石器群の諸特徴を兼ねそなえている。従来フランスでは,この文化を下部ペリゴール文化とし,上部ペリゴール文化とされたグラベット文化との連続性が唱えられたこともあったが,今日では,かなり疑問視されている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のシャテルペロン文化の言及
【オーリニャック文化】より
…オーリニャック文化は,20世紀初頭,[ムスティエ文化]と[ソリュートレ文化]の間に位置づけられ,その後[H.ブルイユ]によって3期に区分された。さらにその前・中・後の各期はおのおのを[シャテルペロン文化],オーリニャック文化,[グラベット文化]と呼ばれることになる。しかし他方この中期にあたるオーリニャック文化を第I~V期に細分し,それに並行してシャテルペロン文化とグラベット文化が一系列に連続して存在したとする[D.ペイロニ]の説が提唱された。…
※「シャテルペロン文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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