シュトゥール(英語表記)Ľudovít Štúr

改訂新版 世界大百科事典 「シュトゥール」の意味・わかりやすい解説

シュトゥール
Ľudovít Štúr
生没年:1815-56

スロバキア詩人,言語学者,民族覚醒運動の指導者。ポジョニ福音派学校卒業(1833)後,ハレ大学で言語学,哲学,歴史学を修める(1838-40)。当地でドイツ・ロマン主義の影響を受け,帰国後,中部スロバキア方言を基に文語を創り(1844),同志とともに雑誌を編集,スラブ民謡・民話集を出版するなど民衆啓蒙に努めた。1848年のプラハスラブ人会議出席。ハンガリー人のスロバキア人抑圧を訴える。後にパン・ロシア主義に傾斜した。詩の理論についての研究もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュトゥール」の意味・わかりやすい解説

シュトゥール
しゅとぅーる
L'udovít Štúr
(1815―1856)

スロバキアの詩人、言語学者、スロバキア民族覚醒(かくせい)運動の指導者。ポジョニPozsony(現ブラチスラバ)の福音(ふくいん)派学校を卒業(1833)後、ハレ大学に留学し、哲学、言語学、歴史学を学ぶ(1838~40)。留学中、ドイツ・ロマン主義の影響を受け、帰国後、中部スロバキア方言を基に文語をつくり(1844)、同志のスロバキア人フルバンJosef Miloslav Hurban(1817―88)、ホジャMichael Miloslav Hodža(1811―70)と新聞付録『タトラの鷲(わし)』を編集(1846)。スラブの民謡、民話集を出すなどスロバキア人民衆の啓蒙(けいもう)に努めた。1848年3月には、ハンガリー政府に対し民族的要求を出し、官憲に追われた。同年6月のプラハでのスラブ人会議に出席し、ハンガリー人によるスロバキア人抑圧を訴えた。のちにロシアをスラブ人の盟主として統合する汎(はん)ロシア主義に傾斜した。

[稲野 強]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュトゥール」の意味・わかりやすい解説

シュトゥール
Štúr, L'udovít

[生]1815.10.29. ウフロベッツ
[没]1856.1.21. モドラ
スロバキアの啓蒙家。スロバキア民族運動の代表者で,政治学術,詩などの広い領域で活躍し,スロバキア民族イデオロギーの形成に努めた。中部スロバキア方言をスロバキア文語の基礎とすることを定めた一人

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世界大百科事典(旧版)内のシュトゥールの言及

【スロバキア】より

…民族啓蒙家A.ベルノラーク(1762‐1813)は西部スロバキア方言に基づく文章語を制定し,J.コラールシャファーリクら福音派の著作家たちはドイツ・ロマン主義の影響を受けて創作,学術研究,民謡収集などの分野でスラブ民族意識を広めた。なかでも民族啓蒙家シュトゥールは,1843年に中部スロバキア方言に基づいた文章語を制定し,それによる新聞・雑誌などの出版活動を通して,議会のハンガリー化政策を批判した。48年革命がハプスブルク帝国に及ぶと,シュトゥールを中心としたスロバキア知識人は同年5月に〈スロバキア民族の請願書〉を作成して民族自治を要求した。…

【チェコスロバキア】より

…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…

【トランシルバニア】より

…彼らは商人と農民であったが,とくにドイツ風の諸都市を建設し,これらの都市は,シビウとブラショブに代表されるように,15~16世紀前半には東西貿易で繁栄した。ザクセン人は県制度から独立してハンガリー国王に直属する行政単位シュトゥールStuhlを形成し,全ザクセン人地域の自治機関としてはザクセン議会Universitas Saxonum(行政,立法,司法権をもつ)を設けた。シュトゥール制度はセーケイ人にも採用され,彼らの自治区域が形成された(中心地はトゥルグ・ムレシュ)。…

【ブラティスラバ】より

…スロバキア共和国の首都。人口45万2000(1996)。ドイツ語でプレスブルクPressburg,ハンガリー語でポジョニュPozsony。スロバキア・ドナウ低地の北西部,小カルパチ山脈(カルパチ山脈の北西部)の南麓にあり,ドナウ川に臨む。ウィーンまで約55km,ハンガリー国境まで約20kmの所に位置し,中欧,東欧の東西・南北の鉄道交通,河川交通の中心として,歴史的にはスラブ人,ドイツ人,ハンガリー人が混在した国際都市として発達してきた。…

※「シュトゥール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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