改訂新版 世界大百科事典 「シュネシオス」の意味・わかりやすい解説
シュネシオス(キュレネの)
Synesios
生没年:370ころ-413
北アフリカ,キュレナイカ地方(現在のリビア東部)の都市プトレマイスの司教。ペンタポリス地方(リビア・スペリオル州)の中心キュレネの名家に生まれ,アレクサンドリアで女性哲学者ヒュパティアらに師事して修辞学と新プラトン主義哲学を学んだのち,所領に戻り読書と狩猟の日々を過ごす。399年リビアに対する減税陳情のためコンスタンティノープルに派遣され,反ゲルマン派有力者の仲介を得て,アルカディウス帝の前で君主政論の演説を行った。その中で彼は,ローマの全軍隊・官職からの蛮族排撃,強力なローマ国民軍の創設,統治と防衛における皇帝の陣頭指揮を訴えている。402年まで首都に滞在したのち帰郷し,砂漠民の侵入・略奪に対して農民を中心とする自衛軍を組織,また403年ころキリスト教徒の妻をめとった。彼は教理教育は受けながらもまだ受洗していなかったが,410年ペンタポリス地方の大司教座プトレマイスの司教に選ばれた。世界の終末や肉体の復活などに関するキリスト教の教義に疑問を抱きつつも,また家庭生活や哲学研究の断念は拒否しながらも,結局この重責を引き受け,砂漠民や不正な行政官からの住民保護に尽力した。
彼は哲学者というよりむしろ雄弁家・詩人で,著作としては君主政論のほかに,哲学的生を論じた《ディオン》や夢による予知を論じた作品,9編の聖歌,156通の書簡があり,やがてキリスト教と結合していくアレクサンドリア学派の新プラトン主義思想や当時の社会の諸相を反映して興味深い。
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報