シュペーナー
Philipp Jakob Spener
生没年:1635-1705
ドイツの敬虔主義の創始者,指導者。アルザスに生まれ,ピューリタン等の敬虔的文書を読んで育ち,シュトラスブルク大学で学ぶ。このとき以来カルビニズム的理念に親しんだことは,自身はルター派にとどまったが,その教派をこえた実践的キリスト教確立の念願に結実する。フランクフルト・アム・マインでの牧師の間に〈コレギア・ピエタティスcollegia pietatis(敬虔の集い)〉を開く(1670)。のちドレスデンの宮廷牧師,さらにベルリンに移り同地で没する。その著書《敬虔なる願望》(1675)は敬虔主義運動の綱領となった。眼目は平信徒の積極的信仰実践の鼓舞にある。個々の改善案は決して新規なものでなかったが,これを機に伝統的な正統主義との広範な論争が生じた。しかし宮廷や貴族の援助もあって敬虔主義は勝者となった。彼の神学思想の核心は,主体的な信仰生活を生み出す〈再生〉にある。彼はまた伝道事業,青少年の宗教教育を推進させた。
執筆者:常葉 謙二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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シュペーナー
しゅぺーなー
Philipp Jakob Spener
(1635―1705)
ドイツ敬虔(けいけん)主義の指導者。牧師。ルター派教会の内部刷新運動をおこし、ドイツ敬虔主義運動の第一世代を形成した。ジュネーブ留学中にカルバン主義者ラバディJean de Labadie(1610―1674)の影響を受け、福音(ふくいん)主義の徹底化、厳格な教会規律の実施など、改革派的理想をルター派教会内にもたらした。と同時に、万人祭司のルター的理念を実現する意図のもとに、信徒の積極的な宗教活動を奨励し、「敬虔な者の集い」(コレギア・ピエターティスCollegia pietatis)を開いて信徒の霊性を深めることに意を注いだ。この運動は人々の反感を買い、ことに正統主義の立場からの激しい攻撃を受けたが、結果としてルター派教会の内面性を深め、活動を活性化した。主著『ピア・デシデリア(敬虔な願い)』(1675)。
[金井新二 2018年1月19日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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シュペーナー
Spener, Philipp Jakob
[生]1635.1.23. アルザス,ラポルツワイラー
[没]1705.2.5. ベルリン
ルター派教会牧師。敬虔主義の指導者。シュトラスブルク大学に学び,カルバン主義の影響を受け,またピューリタニズムの感化も受けて,万人祭司的理念に立って,平信徒の積極的な宗教活動を進めるため,1670年コレギア・ピエタティス (敬虔集会) を創設。 75年に『敬虔なる願望』 Pia desideriaを著わして,その主張を公にし反響を呼んだ。しかし当時のルター派正統主義者と相いれず,その激しい攻撃の的となった。『神学研究の障害について』 De impedimentis studii theologici (1690) で,理性による神学研究を否定した。実践的神秘主義的精神に徹しながらも,宣教の経済的基盤を重視した。著書はほかに,『聖職の地位』 Das geistliche Priestertum (75) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のシュペーナーの言及
【フランクフルト・アム・マイン】より
…1612年から2年間にわたるこの反乱は,ついに皇帝権力の介入により鎮圧されたが,その過程で結ばれた市民協約をもとに,1732年訴訟が起こされ,都市財政を監査する市民代表の市政参加が実現した。
[シュペーナーとゲーテ]
宗教戦争が続く17世紀,フランクフルト首席説教師シュペーナーPhilipp Jakob Spener(1635‐1705)は,[敬虔主義]に立つ祈禱集会collegia pietatisを催し,貧民や孤児の救済活動を進めるなど,ヨーロッパ精神界に大きな影響を及ぼした。その在職時代,カタリナ教会は,最初のルター派教会建築としての改装をほどこされ,他の教会の模範となった。…
【敬虔主義】より
…スペイン,フランスのカトリック教会の神秘主義とも無縁ではない。[シュペーナー]が敬虔主義運動の創始者とみなされており,彼の〈コレギア・ピエタティス〉の開始(1670)と,著作《敬虔なる願望》の公刊(1675)は時代を画した。その後[フランケ]によりハレが中心地となる。…
【フランクフルト・アム・マイン】より
…1612年から2年間にわたるこの反乱は,ついに皇帝権力の介入により鎮圧されたが,その過程で結ばれた市民協約をもとに,1732年訴訟が起こされ,都市財政を監査する市民代表の市政参加が実現した。
[シュペーナーとゲーテ]
宗教戦争が続く17世紀,フランクフルト首席説教師シュペーナーPhilipp Jakob Spener(1635‐1705)は,[敬虔主義]に立つ祈禱集会collegia pietatisを催し,貧民や孤児の救済活動を進めるなど,ヨーロッパ精神界に大きな影響を及ぼした。その在職時代,カタリナ教会は,最初のルター派教会建築としての改装をほどこされ,他の教会の模範となった。…
※「シュペーナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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